2012年9月7日金曜日

母子関係とか勧善懲悪とか~ DVD 塔の上のラプンツェル より


まあこれ最近発売されたDVDでもないんで、いまさら、な話題なのですがばんぶるが繰り返し繰り返し見るんで、もうずいぶん前のことですが、なんとなく見る羽目になりまして。

このアニメ映画、ミュージカル仕立てで話としても面白くアレンジしてあってオトナの鑑賞にも堪えるなかなかいい内容に仕上がっているのですがこれを「母子関係にフォーカスして見る」ってことをしてみました。

あらすじ説明しながらその「母子関係にフォーカスして見る」ってのがなんだったかってのを説明してみますね。
【 】はじぇいど♪が主観で加えた部分です。


あるところに魔法の花がありました。ある魔法使いはその花の秘密をひっそりと保ち、何百年と若いまま生きながらえておりました。

年月を経るうちに近くに王国ができ、そこに王と女王がおりました。女王は妊娠したのですが病気になり、大勢の家来たちは魔法の花を探し出し、その花を摘んで煎じて女王に飲ませます。女王は命をとりとめ、かわいい赤ちゃんが生まれました。

花を摘まれてしまった魔女は城に忍び込みました。生まれた赤子に魔法の呪文である歌を歌うと・・・花と同じように赤子の髪が光り、癒しの魔法の恩恵もそのままだったのです。

魔法使いは【自分を生きながらえさせる髪が1房あればいいのだ、と】赤子の髪を切るのですが、切った髪には魔法の力はありません。魔法使いは【生きるためにやむなく】赤子をさらい・・・自分の子供として【とてもかわいがって】育てました。


どうでしょう。【  】を加えるのと抜くのでは話のニュアンスがだいぶ違ってきません?でもこの【 】はじぇいど♪の主観であって。まだお話を勧善懲悪でしか捉えられないばんぶるあたりは【  】というのはぜんぜんわからないでしょう。

そしてじぇいど♪、ちょっといたずらして次の一文も加えてみたい。端々のちょっとしたもんをヒントに勝手に想像したもの。

【いくら若さを保つために誘拐したとは言っても非常にかわいい子供です。一緒にいれば情も移ります。そして子供というのは生半可な苦労じゃ育てられません。

城での王侯貴族のように侍女も召使いもいない森の中。魔法使いは、毎日一人で手作りしたオムツを換え、洗い、ミルクを苦労して手に入れてなんとか飲んでくれるものを見つけ、毎日話しかけ、歌ってやり、成長にしたがって貧しい中でもせいいっぱい着飾らせてやり、言葉を教え、熱が出れば薬草を見つけて煎じて飲ませてやり、怪我をすれば手当てをし、文字を教え、編み物を教え、好物を遠くまで出かけて手に入れては料理に腕をふるって食べさせてやり(料理についてはそういう下りが実際でてくるのです)、絵を書きたいといえば画材を手に入れて教えてやり(この娘、ものすごく絵が上手いのです)、読み書きを教え、本を手に入れてやり。

日々手塩にかけた子供が成長して美しい娘になって行くことに魔法使いは夢中になり、髪をとかしてやりながらママ大好きよ、と呼ばれる暖炉の前での2人きりの時間はずっと一人きりで孤独の中に暮らしていた魔法使いにとってなによりも至福のときとなりました。】

どうでしょ。悪い魔法使い、なんでしょかね?彼女は。

この作品、ミュージカルなんですけれども。ラプンツェルを手放したくないために、お前はどこにも行ってはいけない、ママと過ごしなさい、外の世界は危ないのよ、と魔法使いが娘を説得しようとする、そういうナンバーを歌い上げるシーンがあるんですけれども、これが、どの時代どの文化でもありがちな、母親の娘へのコントロール欲と執着、歪んだ愛情っていうのを見事に表していて圧巻なのです。

とても「自分自身の若さだけに執着しているからラプンツェルを手放さない」ようには思えず。そして塔の中に閉じ込められていたわりにはこのラプンツェルという娘は豊かな精神性を築いているのでは、と思われるシーンもあって、だとしたらただ囚人のように扱われていただけでは決してそうなるはずがなく。むしろ手塩にかけて溺愛されて育てられた子供のそれ、だと思うのですね。

そして、ラプンツェルのほうも、悪い魔法使いから逃げたい、のではなくて。ほんとにごく自然な「怖いけれどもちょっとだけ外の世界を見てみたい。ママは大好きだけれども、ほんの少しだけ自由が欲しい」と言った18歳の娘の持つ当たり前の気持ちから塔を出て行こうとするのです。はじめは。そして何度もママの愛との間で揺れるのです。

まあ、ラプンツェルが王子さま、じゃなくて偶然逃げ込んできたどろぼうさんに恋をして、紆余曲折の中で悪役の魔女もだんだん悪役らしくなって、最後のほうは全体の話も勧善懲悪らしくなり。

うーん、このあたり、もうちょっと魔女の心情を深く突っ込んで複雑な心情を抱えた善人に描けてれば大人的には楽しかったんですけどね、しょーがないですね。

そして女の(男もかもですが)「自分の老いと容姿の衰えが認められず受け入れ難いためにじたばたしてしまう醜さ」というのも時代や文化を超えた人間共通の普遍的テーマの一つであって。

ここに人というものの悲哀を感じ、魔女の執着の理由に同情することができちゃうのも、じぇいど♪がもうそこんところは多分とっくに超えちゃって諦めとともに受け入れちゃったからなんでしょうけれどもね(それはそれでとほほなことだけどねぇw)・・・。ここんとこは子供には絶対わかんない視点だよねwww

んで、娘を奪われて以来10数年。娘が戻ってくる奇跡を願い続けていた「やさしい王と女王」との感動の再会のシーンがあり、娘は一国のプリンセスとなり、ただのどろぼうさんだったカレシもその恩恵にあずかってたぶんそれなりの地位を持って結婚するに至って、めでたしめでたし、となるわけです。そのあたりは台詞での説明、で簡単に済ませちゃってますが。

なーんかね。この話の後半はなんだかなあ、と思われてしまい。いくら生みの母がいい人だとしても。18になるまでまったく育てられてもいないのに、今後上手く行くのかなあ、とかよけいな心配をしてしまいます。

そしてね、じぇいど♪的にはじぇいど♪が上でつくってみた【   】の中の「書かれなかった部分」ってのがあるような気がしてならず、だとすると、育ての母ではなくてカレシを選んでしまったために、というか、カレシが「あることを」したために育ての母は死んでしまったということに、恋の盛り上がり期が終って自分も母となって子育ての苦労を味わうころにはふと思い出してしまうのではないかなー、そうじゃないとこの魔女、浮かばれんよなあ、とも思ったり。

しかしそこのところは童話もディズニーも「悪い魔女は無事やっつけられました」という一行に収められてしまうわけで。

これが単純な、めでたし、めでたし、でおさまるのはお話の世界だからだよなあ、そしてそもそもの一輪の野に咲く花を自分のものにしてたのは魔女なんだけれども、摘み取らずに何百年も大事にしてきたわけで。それを女王一人助けるために大勢の人を繰り出して勝手にぶちっと摘み取って行ったのはあちらさんなんだけどな。

と思いながら
青空文庫 ラプンツェル

http://www.aozora.gr.jp/cards/001091/files/42309_18060.html

を読んでみました。

うーん、もっとわかんなくなりますね。いろんな想像ができます。隣人を助けるためにたぶん本来やってはいけない魔法を使ったその結果である、世間に出してはならない赤子を成人するまで隠して育てた、ってことなのだとしたら、ますます魔法使いが悪者には見えなくなりますし、このラプンツェルって性格的にちょっとどうよ、だったり。

世の中に勧善懲悪ってのはホントはないわけで。誰もがちょっと自己中でしたたかだったり、別の場面ではいい人だったり。関係がとても深いだけにその両方が見えてしまうし、親のほうには子供を守るという母性本能が。子供のほうにはいいタイミングで親離れをして自立・成長するために反抗期なんてものが成長過程に組み込まれているために、ことさらにこじれやすいのがきっと母子関係。

「すっかり気分はラプンツェル」のばんぶるたんにおつきあいして要求されるまま髪を梳かしてやりながら、いやいや母子に生まれるちゅうのは因果なものよのう。としみじみ想ってしまいました。

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33 件のコメント:

  1. そしてそこからじぇいど♪さんとばんぶるたんの、はるかな過去の隠された関係が明らかに…!! っていうストーリー展開はないんでしょうか(笑)

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    1. わははw
      ももちゃんとはあるんだろうなって思いますがばんぶるはちゅまの言うとおり新品さん、だとするとなーんもないのかな。そう思うとちょっときんちょーしますけどね。はじめての母親役、ほんとにオレなんかでいいのか?って。

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  2. いつも、ディズニーは 悪者キャラに作り上げて、叩き潰してハッピーエンド、っていうのがおかしい、って子供にも話してきました。でも、じぇいど♪さんが、青い字で書いてくださった部分までは見えてなかったです、自分も青い部分の想いをしながら子供を育てているのに!書いていただいて本当によかったです、ありがとうございました。

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    1. ディズニー、いい作品もあると思うんですけどね。これは絵と音楽はいいんだけど、話の突っ込み方がものたりないなーと。青い字の部分ってのは子供目線ではわからん部分なのでしょうね。

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  3. 激しく共感デス

    私も娘とコレ見た時、魔女が可哀そうだなと思った
    そして じぇいどさんの文、読んだら泣けて来た

    「外の世界は危ないわよ」って、母親なら少なからず思ってるコトじゃないかな。程度の問題だけで。

    そして勧善懲悪って本当は存在しないのかも
    どんな人にも言い分はあると思う

    そう思うと極端なコト言うと
    正義感が強いってのは究極の自己中なのかもしれないって思ったり



    「勝てば官軍 負ければ賊軍」 「力は正義なり」
    って言葉が浮かびます

    でも映画はキレイでとても楽しめました

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    1. うん、本気で魔女の心情に没入してしまうとこれは大泣きかもの話ですよね・・・そうそう、正義感、というのは時にとても残酷で曲者だな、と思うことがありますね。特にそれが良しとされる国に長年住んできましたから^^;
      映像はとても綺麗ですよねコレ。

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  4. 今回の記事を読んでいて、漫画の「ひわたりさき」さん(←漢字が出てこなかった)が書いた「悪魔くん」シリーズを思い出しました。じぇいどさんの主観と似たような感じのお話です。
    その中では、天使と魔法使いと悪魔が協力して、「子供の意志に任せましょう。」という流れにもっていき、さらった魔女と暮らせるようになって終わるお話です。

    そしてもう一つ、「アンパンまん」
    「暴力じゃ止めるんだ!アンパーンチ!!!」という矛盾。
    正義のためなら「やっちゃって」良いという観念を植え付けてしまうような・・・

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    1. 悪魔くんシリーズは知らないですが、なるほどですね。「子供の意思に任せましょう」だったらなんてことない幸せな嫁入り話ですもんね。
      あんぱんまん、やなせたかしの原作しか知らなかったちゅまが2歳だか3歳の頃、初めて日本でテレビで見て怖い、と大泣きしたんですよ。戦うシーンが怖い、って。たしかに原作にはバイキンマンという敵は出てこないわけで。なぜ「人助けの話」が「戦う話」にアレンジされてしまったものか。

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    2. 知らなかった・・・
      アンパンマンの原作にはバイキンマンはいなかったのですね。
      *文中 ×「暴力じゃ止めるんだ!」 ○「暴力は止めるんだ!」

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  5. お久しぶりです。読み応えのある記事でした。ラプンツェル、子供の頃に読んだのか何かで見たのかした記憶があります。心に残っていたのは「怖さ」のイメージ的記憶だけでしたが、じぇいど♪さんの解釈を読むと、新たな視点でもう一度気になったり。。。視点を変えると違うものが見えてくるって本当ですよね。【】の部分入りの紹介、とても面白かったです。

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    1. お久しぶりです。うんうん、元型だけさらっと読むときっととても怖い話ですねこれ。子供のときはきっと「かわいそうな姫」に共感しながら読むのでしょうし。【】のところ、楽しんでくれて嬉しいです。

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  6. う~ん、考えさせられます。
    そもそも、魔女が大切にしていたものを横取りしたのは王国なわけで…。
    いくら独り占めしていたとはいえ、もうちょっとこう、どうにかならなかったのかな、そしたらこんなことにはならなかったのに…、というのが感想ですね。
    これって今の世界とも似ていて、強いもの(ここでは王国?)は何をしても良い、という価値観が、ちょっと入っているのかな、と…。
    それぞれの立場を理解して、最大公約数の幸福を、成立させられるやり方を、見つけられるよう努力できたら、素敵ですよね。
    たとえそれが、夢物語だと言われたとしても。

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    1. うんうん。弱者と強者。って視点もありますね。病に倒れた女王も心配する王も周囲の人たちも「無邪気な善意」から花を摘み取っただけだし、自分たちは悪い魔女に大事な姫を奪われた最大の被害者って思ってるだけなのでしょうしね、強者って自分のしたことの残酷さに気づかないことがある。それを強者の立場としても弱者の立場としても少しでもいいから意識していたいなあと思いますね。最大公約数の幸福。いい言葉です。

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  7. 作家さんの後書きでも同じことを書いてることがありますね。
    ストーリー的に合わないので書かないとか。一方的な見方で進める。
    でも、本当の事って両方から色んな意味があるものなんですよね。
    よく、ニュースを見て思いますね。

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    1. そして普段の生活でも多くの場合人間は物語全体を俯瞰することはできないのだから「一方的な見方」をしてることがきっと多いのだろうねぇ・・・。きっと「両方が何をして何を考えてこの結果になったのか」がわかる存在は両方が愛しくてしょーがないのだろうな、と。

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  8. ディズニーのラプンツェル、CGアニメーションとしての技術が凄いって何かで聞いて、DVDレンタルで観ました。画としては確かに綺麗で特に髪の毛の動きが面白くてイイですよね♪
    ストーリーとしては、生みの親より育ての親へ愛情って湧くはずなのに、簡単に心変わりするような子がヒロインだなんて…と思いました。
    魔女ママも一緒にお城で暮らすラストなら良かったのに…って。
    コメントの中に日渡早紀(ひわたりさき)さんの名前があったので、便乗して書いちゃいますが、彼女の作品「ぼくの地球を守って」のヒロイン「ありす」が私の中では「なに見え」の「じぇいど♪」さんって感じなんですよね。
    不思議な少年「輪(りん)」が「ちゅま」ちゃん。
    「輪」の不思議さを突き詰めるような道筋が、いつのまにか「ありす」こそ、不思議と言うか、奇跡そのものってなところが特に(^^♪

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    1. なるほど技術革新で注目された作品だったんですね。綺麗なはずだ~。ご指摘のとおり、簡単に心がわりする姫ってどうよ。ですよね。

      ぼくの地球を守って、は米国編やってるときからなんどか指摘ありましたんでぱら見したことはありますがまだ最後までちゃんと読んだことがなく。
      漫画の世界とリアルを混同した若者が過去生仲間を探す広告出して作者が否定して、ってのが社会問題として語られたのをちらっと週刊誌かどっかで読んだ覚えがありますが、当時は「過去生だなんてあたまおかしー人がいっぱいいるんだな」って思ってました(苦笑)
       今wikipediaみると連載~盛り上がってた頃は時期的に日本にいなかったんだななるほどだからあんまり知らないのか、と。

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    2. そうですか、やはり『ぼく地球』指摘ありましたか
      『ダークグリーン』って指摘もありましたでしょーか

      『ぼく地球』について「フィクション宣言」…そんな事があったなんて全く知らずにいました。
      そして…彼女は単行本の時に殆どの作品で「4分の1のたわごと」って枠を作って、作成秘話とか日常の小さな発見みたいなの書いてるんですが、ラストは「あんよを大地にしっかりとくっつけて、両手を星にさしのべて~…」とお決まりの〆の言葉があるんですよね。
      これって、グラウディングだったのかぁと、さっき書きこんだ後に気付いたのでした。

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  9. 私も便乗して^^;
    なにみえ米国編を読んでいる間、ああリアル?『ぼく地球』だなあ、と思っていました。いや、あの作品は現実逃避のはけ口にもなってしまい、作者が「フィクション宣言」までせざるを得なかった、といういわくがありましたが〜。
    私はなにみえにはリアルタイムでしゅうごう〜できなかったので、当時の状況は推察するだけなんですが、時代は変わったなあとも感じました。日渡さんの前世観、いまの方がしっかり伝わるのかな、と。
    でもそれ以上に、じぇいど♪さんのなぜ思いだすことが大切なのか、のお話しの説得力は私には涙モノでした〜。

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    1. 当時のことを知らないので推測でしかないんですが、作者がわざわざフィクション宣言をしなけらばな背景にはきっと問題視されるような事件とか事情があったんでしょうかね。漫画で子供、せいぜいティーン相手だったわけでしょうし。
      でもその漫画を子供のときの読んだ人たちが後にもう少し大人になって拒否感なく真面目に過去生だの魂だのってコンセプトについて考えてみたり捉えなおそうという方向に行ったのだとしたらそれはそれで成功だったんじゃないのかな、って思いますね。

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  10. エメラルド8/9/12 3:25 午前

    じぇいどさん

    こんにちは~。 かなり昔から愛読させていただいていますです。
    コメントはかな~り久しぶり・・・・
    「ラプンツェル」みましたみました。娘と映画館で。んでもって泣きながら見てたのも覚えています。私は見ながら自身をラプンツェルに投影してたと思います。母親の強い愛の中での葛藤、なかなか離れられず・・・そして自由を手にしていく所で感極まってしまいましたですよ。しかし現実の世界では・・・今でも葛藤しております。ここ数日、母親との心理的葛藤でちょっと悩んでいた所。やはり自分の母親との関係が健全でないと、自分の娘との関係も少しずつ歪んできてしまうのですよね。母子関係の癒着って目に見えないけれど恐ろしいですもんね。

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    1. そーですかー・・・。母親と自分の関係が、自分が娘に接する態度、つくる関係に影響するってのはじぇいど♪もよくわかります。一番の「お手本」なわけですしね。母親との関係って、大人になってもまだまだ変化し続けて一生かかって完結するもんなんだなあ、って思います。お互い、母と自分、自分と娘いい関係に変化していくといいですね^^

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  11. 「ぼく地球」懐かしいっ!←便乗 読んだ読んだ(^-^

    「ラプンツェル」は未体験です。
    そんなお話なんですね。
    でも、ディズニーの話はあっさりした結末が多いですよね。
    子ども相手っていっても日本じゃあんまりないような←アニメの位置が違う?
    鉄腕アトムもアメリカで放映される時に、結末の表現でもめたってテレビで見ました。結局治虫氏が折れる形でOKと。
    ああ、話がそれてる すいません。
    魔女はひっそり暮らしてた、のくだりで「ももたろう」を思い出してしまいました。←またそれてる
    「ももたろう」を小学校の授業で使ってたんです。
    「なんで鬼はももたろうに退治される事になったのか説明できるか」
    から始まり、色んな角度から見るんです。
    最後の方は「ひっそりと暮らしてた鬼の宝を人間が知ってしまい、ももたろうを送り込んだ!」ってな意見まで。
    確か小学校の低学年。
    めでたしめでたし、も良いんですけど 色んな位置からもっと深く見るってのも教えたいです。最近の子はそういう想像ってのが乏しいように思います。ニュースで見る事件なんかも、一概には言えませんが やっぱりここが足りないんじゃないかと・・思う今日この頃です。


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    1. まあ所詮子供が理解できる、とか、飽きない程度の長さで、とか、色々制限の中で製作されるということを考えると、あっさりな結末もしょーがないんでしょうけれどもね。アニメの位置が違う、そうかもですねえ。だから日本のアニメがむこうでも受けるのかもです。大人向けだから。あーアトムはなんかあったらしいですね。
      ももたろうの話、そうですね。鬼がそもそも人間の家々を襲って財を不当に取り上げていたのでそれを取り返した、という話なら納得なんですが、そういえばそう書いてないバージョンもあるような。
      うん、相手の立場に立って考える。多角的に物を見ることができる。人間としてとても大事な訓練の基礎の基礎を実は「こくご」とかでやってるのかもしれませんね。言葉の習得だけじゃなく。

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  12. 初めまして。ええと、別に匿名にしたいわけじゃないんですけど、自分のHPとかブログとか持ってないんで、どうしたらいいのかしら。「みか」と申します。

    なにみえ、米国編が終わった段階から、過去ログ読み始めました。

    で、ラプンツェルですが。
    ディズニーバージョンの話とか、母と娘との葛藤執着のこととかは置いておいて。
    グリム版についてなんですけど。
    ちょっと書きたくなったんで、書きますね。

    まず、グリム童話によく出てくる、年頃になった娘がどこかに隔離されるというパターンの由来ですが。
    これは、「破瓜期の少女を入れる小屋」というのが大昔はあって、初潮が来た娘は、そういうところに隔離されたらしいんですね。
    今も、未開部族でそんなのがあったりしますよね。

    で、昔は、たくさん子どもを生んでも育つのはほんの一部ですし、生活は大変ですから、親や他のきょうだいの生活を少しでもラクにするために、娘は、虫がつかないように育てた上で、大量の婚資をくれる男のところに早めに嫁にやりたい、というのが、親の本音だったりするわけです。
    愛情がないわけじゃない、でも、それ以前に余裕がないわけです。
    そして、母親も、そういうふうに育っているから、女に生まれたらそうなるものと、娘についてはあきらめているわけです。
    日本でも、つい昭和の時代まで、東北では、娘が身売りせざるを得なかったりした場所がある、という事実を見てもわかることですが。
    (ちなみに、そういうところに原発の助成金が落ちて、生活が楽になったり…この問題はフクザツですよね。)

    で、そういう古い時代のもろもろの名残が、大人の民話であるグリムの話には、残ってるわけです。
    ラプンツェルのもともとの意味であるチシャというのは、キャベツと同じく、女性器のたとえであったりもするわけだしね。
    (赤ちゃんはキャベツから産まれたりすることになっている。キャベツ畑人形というのは、その名残ですね。)

    だから、今の時代の母と娘の心理的な問題だけ見ていてもわからない要素が、この話の背景にはあるわけで、それゆえ、わかりづらい要素がてんこもりの話になっている、んだと思います。

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    1. うおー、社会民俗学的な視点からの分析、ってかんじですね。こーいう切り口での見方は非常に興味深いです。ありがとうございます。
      そうかラプンツェルはチシャ、でそういう暗示なんですね。

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  13. 再び、「みか」です。
    もう一つ、娘が非常に美しかったり、能力が高かったり、男性にもてたりすると、娘を護りたいというだけでなく、密かに娘に嫉妬する母親、というのがけっこういまして、これは、心理学の教科書にも出てくるパターンなんですよね。
    「私が若い頃には、そんなこと、したくてもできなかったのに」という気持ちです。
    で、そういうのも、グリムの童話には、継母とか魔女というかたちでカムフラージュしながら、表現されている、というふうにも、言われているようです。

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    1. あああ、よく言われますね、そういう親子の確執ってのもあると。白雪姫なんてその典型の話になってますね。あれは原作では実母、ですし。母子関係は濃密なだけに深いですね。

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  14. ディズニーのラプンツェル、大好きで、私もDVD持っています。笑

    私の場合は、魔女も内緒に大事にしていた魔法の花を奪われたのだから、かわいそう、
    そして、王国も、お花一輪まるごと使ってしまうのではなくて、花びら一枚とかだったらよかったのに、
    と最初のシーンをみて思ったくらいでした。(まあ、それでは、話が誕生しないのだけれど) 恥ずかしながら・・・

    このじぇいど♪さんの記事を今読んで、なるほど~・・・・ とうなりました。

    私も子どもを生んだら、子どもを持ったら、
    魔女のそういう共感が、自然と、かつ、ダイレクトに沸いてくるのだろうな・・と思いました。

    でも、実際、魔女もラプンツェルも 魔女「I love you the most」(←でしたっけ、言い回し忘れちゃった the best ?)「I love you more」と言い合って暮らしていたのですしね。

    そういえば、中学二年生になった友達の娘ちゃんに初めて見せたら、シーンの途中、娘ちゃんが「この人(魔女)は悪い人なの?」とたずねてきました。

    ああ、娘ちゃんには、この魔女が悪い人なのかいい人なのか、区別がつかなかったがために質問してきたんだなぁと今では思います。

    宮崎駿の世界のように、それぞれの人の立場、側面が描かれていると、この世界には完全に悪い人、根っから悪い人っていないんだなぁと思いますよね。

    本当は、ディズニーも童話も、そういう描き方だと、子どもも豊かな洞察力のある心に育つのでしょうね。

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    1. 二年以上も前のコメントに今更のレスで申し訳ありません、ですが。そうそう、宮崎アニメは例えばナウシカなんかはクシャナ姫側の人物にもそれぞれ魅力がわかるほどの描写があったり、もののけ姫なんてのはもう善悪超えた話ですし。子供の成長にとって今は文章だけでなくアニメ映画などの影響も大きいのは確かでしょうから、様々な解釈ができる余地のあるいい作品は学校の教材にしてもいいくらいだよなあ、って思いますね。

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  15. 投稿してから、後から、みかさん、そのほかの方のコメントを読ませていただきました。ほう~!みかさんのグリム童話の時代背景にまつわるお話、すごい興味深いですね!

    「ぼく地球」ってそんなお話だったのですね~、自分が高校生くらいのときにまさにリアルタイムでした、でも読まなかった。 今度読んでみようかな~

    そういえば・・ 魔法の花はもともと魔女が最初に見つけて大事にしていたのに、そのことは誰にも知られずに物語は終わってしまいますね。つまり、一方的に魔女が悪いと人々は思って終わり・・。
    ラプンツェルも、ユージンも、王様・女王様、町の人たちみんな。

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  16. はじめまして。
    視聴前にこちらのブログを拝見して(「原作では食べたのキャベツだっけ?チェシャだっけ?」と検索かけたらこちらにたどり着きました)、じぇいどさまの見解を視野に入れた上で本編を見てみました。
    ちなみに原作は知っており、冒頭(成長後の姿が出てくるまで)とジェイド様の文章を読んだ段階では
    「原作で魔女の畑のチェシャを夫が盗んだ」だったのが「先に見つけたのは魔女だったものの、"誰のものでもない(魔女の家の敷地内ではないし、明確に彼女の所有物とは言えない)花"」
    にしたのは王様側を「完全なる被害者」にしたかったのかなぁ…。などとも思っておりました。


    ですが、成長したラプンツェルと魔女の最初のシーンを見ても、
    「毎日話しかけ」「ずっと一人きりで孤独の中に暮らしていた魔法使いにとってなによりも至福のとき」
    というのは、本当かな?と思うのです。
    あのシーンをみて感じたことは

    1.魔女はラプンツェルの話はまともに聞いてない。聞いたとしても自分の主張で言いくるめるだけ。内容も「外の世界は悪、母親以外のすべては悪」というようなもの。ある種の洗脳で一方的なものでしょう

    2.魔女にとって「二人きりの時間が至福の時」なのはラプンツェルによって「孤独を癒されたから」ではなく、あくまで「若返りできる」から。魔女は話など聞いてないですもん(ラプンツェルの話を聞かないのであれば"コミュニケーション"とは言えない)。

    でした。あの両者の間に、健全なコミュニケーションや子が親から受けるべき「愛情」の上に成り立ったようなものを感じ取れませんでした。
    己の「若くありたい」「その為の"道具"を奪還されてはいけない」というエゴを"外は怖い所"という嘘で隠しているようにしか…。

    食事の支度はしているようですが圧倒的にコミュニケーション不足な面が多々見受けられます。
    ちなみに魔女の行っていた一方的な主張を押し付ける・子供の自主性を尊重しない類のコミュニケーションは子供を「ゴミ箱」にしている状態であり、子供にとって非常に悪影響だと、以前心理学関連のお仕事をしている方に言われました。

    魔女は「18歳はまだ早い」とか言ってますが、結局は盗んだラプンツェルの居場所が露見しない為や”髪に何かあったら困るから(外でちぎれたりなど?)"ですし、
    人間関係やコミュニケーション能力はほとんどが幼少期に獲得してからの積み重ねですので、むしろもう「手遅れレベル」ですよね…。
    メンタルヘルス的な部分で考えたら1の条件の時点でラプンツェルは相当ゆがんだ性格になりそうですが、そこは子供向けファンタジー故の大きな補正でしょう…。
    魔女のあの相手の話を聞かない接し方、威圧で従わせる態度、いわゆる「毒親(子供が精神的に病む原因になる親の事)」そのものです…。

    魔女がラプンツェルを育てているのはあくまで「"自分を若返らせる魔法の道具"のメンテナンス」に過ぎないのでは?
    とても「人として接している(人権を尊重している)」、まともな子育てをしたようには思えない点が端々に見受けられるのですが…。
    あそこまで若さに執着しているのであれば、「見返りに永遠の美が手に入る」のならば子育ての労力など惜しまないでしょう。

    ちなみに老いた後の姿に戻った際に、それが死に直結するのかどうかは、書かれていないのでわかりませんでしたが、
    そのまま死ぬレベルまで老いるのならば、カメレオンがとどめ差す必要もないような。魔女なので長命でしょうしねぇ…。

    以上、私の個人的な見解はこうでした。

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    1. 検索でたどりつかれましたか!興味深いコメント、ありがとうございます。
      ほんと、映画や小説だけでなくどんな作品でもそうですけれども、そこに明確に描かれていない「行間の部分」は人によって色んな解釈ができるものですし、また、同じ自分、であっても時を経て10年くらい経って人生経験を重ねると、10年前とは違う視点になって違う意見を持つようになっていたりするんだろうなあ、と。だからこそ映画評、ってのは、自分がして後からまた読むのも、他の人の意見を読むのも面白いですよね。

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