2013年2月1日金曜日

百人一首 その3 そこに秘められた定家の想い

(2より続き)なんで素人が見てもいまいちな歌が入ってるんだろう。81番を作ったのは・・・・小倉百人一首をつくった藤原定家その人の従兄弟で左大臣。さらにその父は右大臣。身内びいき?権力者へのごますり?それとも他の選択基準が?と思いながら・・・・「百人一首」「駄作」で検索してからネットをめぐっていたら大ヒット。

こんなもんにたどりついてしまいましたよ
 http://www8.plala.or.jp/naomichi/hyakushu/t-himitu.html


って、本を読むまでは待てないので 笑 
たぶんおおざっぱな内容だとおもわれるこちらを読んでみました。

http://www8.plala.or.jp/naomichi/hyakushu/utaorimono.htmll
なるほどこれは和歌名作ベスト100なんかじゃなかったんですね。100枚で作り上げたパズルなんだ。上下左右に共通語を含むように並べると、きっちり縦横10枚におさまり。

 しかも「意味ありげな4枚」が四隅に来る。←ここポイントw
そして共通する言葉を絵にすると一枚の大きな風景画が浮かび上がる。だからそのパズルの条件に当てはまる語句の入った歌をその出来如何は置いといて当てはめた歌もあるはず、ってことなんですね。



で、そのパズルが示すものってのは?風景画はなんの意味が?って話が、これほんと、泣けます。

10x10で並べたものの四隅にくるのは、定家その人、式子内親王、順徳院、そして後鳥羽院。どんな人たちなのかを調べるとそこには切ないドラマが。

式子内親王は身分違いで結ばれなかった定家の想い人と噂される36歌仙の1人、定家にとっては13歳年上の人で父俊成の歌の弟子。後鳥羽院も俊成の歌の弟子、そして定家にとってはおそらく人生最大の深い関わりがあった人。順徳天皇はその息子で幼いときより定家が歌を教えてきた、という関係。

http://kajipon.sakura.ne.jp/kt/haka-topic11.html
定家自身がどんな人だったのか、そして後鳥羽院との関係についての説明は色々めぐった中でこれが一番わかりやすかったです。

コレ読むとようするに定家ってのは、父ローに育てられたイチロー、アールウッズに育てられたタイガーウッズ。宮廷歌人の父や西行のような大歌人たちに仕込まれ、批判されていた難解な作風も次第に認められ。暴力沙汰を起こしたりで出世はいまいちでも歌人としては順風満帆。しかし30代半ば、クーデターで仕えていた九条家が失脚して貧乏のどん底に^^;

しかしくじけなかった定家は時の権力者、後鳥羽院に取り立てられることに成功し、宮中へ出世。定家38歳、後鳥羽院20歳。後鳥羽院は歌にのめりこみ、この後20年ほどのたくさんの歌会が催され。定家は後鳥羽院の命で6人の撰者の1人として巨大プロジェクト、新古今和歌集を編纂。院と定家、身分も年齢も越えた「歌バカ仲間」だったことでしょう。

式子内親王は定家が宮廷歌人となった2年後、53歳で亡くなりました。56年間にわたって日記を書き続けた定家ですが。内親王の病状は詳細に書かれているのに、亡くなったことは一年後の命日にようやく触れられているだけなのだそうな。もし噂通りの秘め続けたた恋だったなら、どれほど深い悲しみだったことか。

89 玉のをよ たえなばたえね ながらへば 忍ぶることの 弱りもぞする  式子内親王

これが四隅の左上になる式子内親王の歌。そう思ってみるとほんとに意味深ですね。



新古今集の編纂は延々と15年も続いたのですが、歌バカの情熱故に?定家と後鳥羽院は歌の好みをめぐってだんだん険悪になってしまいました。ある日定家の詠んだ歌をめぐってついに仲たがい、定家はなんと出入り禁止。

その間に後鳥羽院が鎌倉幕府に対して起こしたのが承久の乱。東西を割った大戦争ですね。北条政子の大演説で結束した幕府側に院は大敗し、息子の順徳院はじめ一族はばらばらの島へ配流、院側についた者の多くは処刑。当時のお決まりのパターンですが院は怨霊になったとも言われ、それを思わせる本人の発言、祀られた神社も残っています。

人間万事塞翁が馬。皮肉なことに出入り禁止だった定家はそのおかげで失脚せず。どころか、将軍にも次代の帝にも重用されて歌壇の第一人者として安泰な一生を送ったのですが。

定家、75歳のときに百人一首を編纂。当時はカルタではなく、襖の装飾であったと。そして百人秀歌、というのも近年見つかっており、歌は殆どが一緒。が、そこには肝心の、順徳天皇・後鳥羽院の歌はありません。なので秀歌のほうは公式発表バージョンだったのだろう、と言われてますが。

75歳。自らの人生を振り返り、総決算をし、なにかを形にして残したい、と思う頃でしょう。今の人も、自分史編纂、とかやってるよね。

定家は祟りを恐れて鎮魂の意味で作った、っておどろおどろしい説もありますけども・・・でもやっぱそんなんじゃ なかったと思いたいのですよ、じぇいど♪は。

パズルから浮かび上がる風景画は新古今和歌集の舞台であった水無瀬の里。それは後鳥羽院の、そして定家自身の絶頂期の象徴。仲たがいしたままになってしまった院への申し訳ない気持ち、立場上もう語ることすら許されない様々な思い出。それを定家自身の生きた証として人目につかない方法で残したかった。 そういうことだったんだと思いたいです。



やーほんとこの話は知らなかったデス。てか、よくまあこのパズルを解いた人がいたもんだなあ、とほんと感心しますが。学問の世界でも認められてる説なんでしょうかね?だとしたら今は授業で教える先生もいるといいなあ。コレ知ってると知らないじゃあ、百人一首ってものへの興味も印象もまるで違ってくると思いますもん。

それを踏まえて89番以降96番までを読んでみると、どれもこれも定家の当時の老いゆく気持ちを代弁したもの、あるいは、後鳥羽院在位当時の共通の知人が後鳥羽院のことを恋歌のふりでこそっと嘆いたものばかりに思えてくるしね。95番の慈円というお坊さんの歌はまったく無関係に思えたんだけど・・・この人こそ後鳥羽上皇の蜂起を止めようとして止めきれず嘆きのまま生涯を終えたガチ関係者。

なので 、四隅の右下になる定家の
97 こぬ人を まつほの浦の 夕なぎに 焼くやもしほの 身もこがれつつ 権中納言定家
は恋歌なんかじゃなくて定家が待つこぬ人は後鳥羽院・順徳帝・式子内親王のことで。

そして最後の2つ、パズルの四隅の残りの2箇所となる
99 人もをし 人もうらめし あぢきなく 世を思うゆゑに 物思ふ身は   後鳥羽院
100  ももしきや ふるき軒端の しのぶにも なほあまりある 昔なりけり   順徳院
で、百人一首ってのはなんなのかを示した、という実に隙がない完璧な構成になっているんだなあ、と感動しました。

定家、パネェっす!



くだらない話ですが。じぇいど♪、子供んとき、この100番のももしきや、はももひきのことだと思ってました。よくある話でしょうが。だから古びた軒端にももひきが干してあるの図がぱっと浮かんでたんですが、そうじゃない、ももしきやは宮中、って意味なんだ、ってわかってもその図はどうも脳裏から払拭できず^^;でもこれでようやくそのイメージも消えそうですね。

 こんな百人一首アプリでハムスター?と喜んで対戦するばんぶるも、今は音で覚えるのみ、きっとじぇいど♪みたいに各所で大きな勘違いをしてるんでしょうけれども。それで今はいいんだろうな、そしてももちゃんも当分の間は百人一首は恋歌がたくさん!でいいんだろうな、と思います。、それぞれの年齢での楽しみ方がある、おべんきょーじゃなくて、楽しくて深いゲームなんだからね(^-^)。

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12 件のコメント:

  1. わぁ衝撃!! そんな細かい仕組みが
    隠されていたとは…

    ウン十年以上前の小学生時代、
    私も全部覚えたもんです百人一首… 
    そしてじぇいど♪さんと全く同じく
    モモヒキのイメージで覚えてましたww
    『恋すてふ』で「え、捨てちゃうの」と
    勘違いしたりww

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    1. ほんと、びっくりですよねえ。他にも色んな暗号解読の仕方があるようですが。
      やっぱりももひき、とか、捨てふ、って思いますよねえ、子供んときはwww

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  2. わぁ!すごく面白く読ませていただきました!
    すごいですよねー!そしてこんなサイトがあったんですねー!
    私も織田正吉さんの本などを何冊か読んでいたのですが、同じような解釈でした。綺麗で面白くて深くて人情味があって和歌パワーは偉大だなぁと嬉しくなりました。
    今度は紀貫之や紀友則や在原業平や小野小町や柿本人麻呂等の話も出てこないかなぁと期待してまぁす☆

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    1. 織田正吉さん、ですね、φ(・_・”)メモメモ
      本屋さんで立ち読みした解釈は・・・著者名忘れちゃったけど
      計算が多くてさっぱりわからんかったです。
      他の歌人について?
      ええええええ(@@;)いやあああああwwww
      いやでも誰がどんな人生送った人で
      どんな想いを篭めてその一首をつくったのか、って観点でみたら
      和歌の世界もほんときりなくおもしろい世界でしょうね

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  3. 私は『QED 百人一首の呪』高田崇史著を読んで、百人一首の謎に初めて触れました。
    こちらでは百人一首が鎮魂の為の曼荼羅になっています。歴史ミステリーで読みやすい作品ですので、暇つぶしによかったらどうぞ。図書館にあると思います。
    短歌つながりだと同じ著者の『QED 六歌仙の暗号』もお勧めです。こちらは御霊信仰や言霊に触れています。
    この人の作品は京極夏彦氏より読みやすいところが私は好きです。
    ちゅまちゃんが漢字に慣れてたら、京極作品とか好きじゃないかな~と思うのですが、どうでしょう?

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    1. おお、またまた違うバージョンのご紹介が。それも読みたいなあ
      書いてみるもんですね♪ うん、やっぱ時代が時代なので
      御霊信仰が大事だったんでしょうし・・・・そーなんですよ、和歌もそうだけどね
      お能もね、響きの周波数とか言霊的にどうなのよ、って気になります。
      京極夏彦・・じぇいど♪もほとんど読んだことないですねえそういえば。

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  4. 子供の頃、妹と「私のお姫さまw」を決めていまして。妹は清少納言、んで私は式子内親王…でした☆私のウチの百人一首の彼女の絵が、青い着物で、顔が見えないバージョンだったので、奥ゆかしくって高貴な感じが気にいっていた…だけなのですが。
    んで中学時代、うたの意味も知って、おお、なんかじょーねつ的、かつかなしーうたなのね?!
    で、『うた恋。』で、定家とのあれこれを知って。
    …わー、私も↑本読んでみたいです〜!
    お能の『定家』もすっごく観たいのですが、あれ、まあ解釈は色々でしょうが、ヒトって時に自ら妄執や悲しみ・哀しみに囚われるものなんだなあ…と。
    あの、前世とかで、また今世も同じ恋人と巡り会う…とか、一見ロマンチック!と思うのですけれど。…でもさ、それっておんなじこと繰り返してるだけで、せーちょーがなくないか?なんて思ったり。
    最近「ドラマを手放す」がマイテーマ(笑)で、どーいうことかなあってよく考えていたのです。
    私が子供の頃から感じてるアウェイ感って、結局、自分で選択してたんだろうなあ…。
    あれ、式子内親王と定家さんのハナシは何処へ…?σ(^_^;)

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  5. orange*potiron2/2/13 1:18 午前

    百人一首、中学の時のカルタ大会で優勝してしまったくらい、好きです。
    でも、こんなドラマがあるって知らなかったなー。
    色々調べてくださってありがとうございます。
    勉強になりました。
    ちょうど、マドモアゼル愛さんのブログで、和歌の意義について触れられており、そうかー和歌ね、と思っていたところだったので、とてもタイムリーな話題でした。
    昔、お正月と言えば祖父母の家で百人一首やってましたね。幼い時は、絶対とれないんだけど、下の句に私の名前が入っている一首だけとらせてもらってました。
    今では、娘達とボウズめくりするくらいしか使えないんですけど、先日、ひらがなを覚えた娘と無理矢理、百人一首よんでみました。
    懐かしいというか、血が騒ぐというか(笑)
    娘達が大きくなっていくと、じぇいどさん家のように一緒に楽しめる日がくるんでしょうね。
    そのときに、この物語を話ながらできたらいいなと思います。(ママ、うんちく長いからやだとか言われそうだけど...)

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    1. おお優勝!それはすごいっ!(゚∀゚ノノ゙パチパチパチパチ

      そうそう、上にも書きましたが、言霊の面でどうなのかって気になります。
      そうですかM愛さんもお書きになってたんですか、あとで探してみます。

      家族でそうやって小さいころからやってると、愛着がわきますよね^^
      きっとお嬢様がたも好きになるでしょうね~^^
      うんちくが長い・・・えと、うんちく好きの娘に育てればええのです・・・って
      うちはやりすぎて今じゃ逆にうんちくをしこたま語られて聞く一方になってますが 笑

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  6. なるほど~~~~~(*゜0゜)
    歌ひとつひとつに込められる意味もあって読み方も幾通りもあるようで深いのにさらに…

    そして。
    ももしき=ももひき
    ずーっと頭の隅にイメージであるんですけど。
    そしてこれ読んでもまだ払拭できねい!(笑)www

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    1. もうそれはそれで札が取れればよし、と・・・・笑

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