2013年2月2日土曜日

能 定家 仏教世界における恋愛の是非って?

またお能の話かい、和歌だの能だの、ジジむさい話題ばっかだねえ、と思いでしょう、すみません(笑)日本の文化が楽しくなっちゃってる日本かぶれのガイジン状態なんだな、とでも思っといてくださいσ^_^;

いやね、前記事のちゃあさんがコメでこの演目を話題に出してくれてたもんで、前記事書くときはスルーしちゃったあらすじだけあらためて読んでみたんですが…どうもぴんとこないっていうか、わっからんのですよ。

あらすじ   リンク跳べる方はこちらでどうぞ。
http://awaya-noh.com/modules/pico2/content0333.html

見られない方のために大雑把に述べてみますと。
あるお坊さんが時雨に逢いまして、雨宿りするんですが、そこで女性に声かけられまして。ここは昔定家が建てた時雨亭と言います、時雨にお坊さまがいらしたのも何かのご縁でしょうから菩提を弔ってもらえないか、と言うんですね。

導かれるまま着いていくと蔦葛にまとわりつかれた石塔があって。定家と式子の報われなかった恋バナを聞かされます。そして、式子の墓にまとわりつくツタは定家の妄執で、そのせいで二人とも成仏出来ない。お経をあげてもらえないだろうか、私がその式子です、と言って消えちゃうんですね。で、お坊さんが近所の人に確認すると全く同じ話を聞かされました。

そこでこりゃホントなんだろうと、あらためて出向いてお経を上げると、また式子が出てきて色々話しまして。そして法華経の力で 蔦がするする解けて式子が出てきます。
で、お礼に昔の華やかな姿で踊りましょう、って舞があって、式子はまたお墓に消えちゃって、またお墓を蔦が覆ってしまいました。って話のようなんですが。

あれ?またツタに包まれちゃうの?じゃあ成仏しないの?って結果がよくわからないエンディングで、やっぱ解釈が色々分かれちゃうみたいなのですが。

でも、もっとわかんないのは…定家の妄執で成仏出来ないからなんとかして欲しい、ってな具合に、式子が迷惑そうにしてるところなんですけど! なに?式子ってそんな人?

愛じゃなくて「妄執」としか感じないのは式子のほうなのか、それとも定家の愛も変貌しちゃって妄執になっちゃった、ってことなのか、それとも、法華経で成仏とあるからには法華経の世界観の話なんでしょうけれども、その世界観においては現世での恋愛感情なんちゅうのは、やっぱ妄執にしかすぎん、死者を苦しめるものだということなのか。

まーこのへんになると、仏教における煩悩とか迷いってなんぞや、とか、仏教における恋愛感情の是非、って話がからんじゃうのかな、不勉強なじぇいど♪にはまだまだ各時代の各宗派の各坊さんの主張のどれがどうなのか、ってのはわっかんねーな、やっぱもうかの理趣経みたく、シンプルに、人間の男女の喜びも、ものを飾るとか食べるとか香りを楽しむとかの心が喜ぶさまざまなことも、菩薩の境地なんだからぜんぜんOKなのよ~って明るく肯定する、って考え方のほうが好きだなあ、うん。だれかそのあたり詳しい方いらしたら、ぜひ解説ぷりーず。

ま、それでも、いっぺんは見てみたいなあ、この「定家」って演目。字幕ないとやっぱわからんから能楽堂に行く気はしないけど 笑 またTVでやってくんないかな。



ついでにね、ちゃあさんのコメレス、語ったらながーくなりそうだし、けっこう深い話なのかと思うんで次回、もうコメレスじゃなくて記事って形で書いてみようと思います。

ぽっちりよろしくお願いいたします^^↓

 にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ

7 件のコメント:

  1. めぐみん2/2/13 9:05 午後

    リンクにとんで、あらすじを読んできました。
    私が思ったのは、確かにお経を読んでもらうことによって定家の妄執がなくなり、一旦は式子内親王も苦しみから解き放たれたのだと思います。
    だけど舞をまったあとに、式子内親王は自分の若き日に思いを馳せ、現状の自分を悲しく思い隠れたいと望んでしまったので、式子内親王の思いを感じ定家葛は今度は妄執からではなく、式子内親王を庇うかのように再び絡みついたのではなかなと。

    あくまでも私の感じたことですが。

    返信削除
    返信
    1. なるほど!庇うかのように。うん、それなら素敵な関係ですね^^

      削除
  2. 「うた変」で描かれていた「テイカカズラ」で
    読んだ時には「ほ~♪」としか
    思わなかったのですが
    まさかこの話題がじぇいど♪さんの
    サイトで話題に出るとはwww

    「テイカカズラ」では、
    「生まれ変わったら式子内親王にもう会えない」と
    頑なに思っている定家に式子内親王も
    成仏をするように諭すのですが
    「もし(成仏しても)本当に会えなかったら、、」と思った
    (←私見ですが)式子内親王も現状を望んで成仏せず
    現世に残る事を望んだ的に描いてますねw

    もしかしたら、成仏するだけが
    「幸せ」の形ではないのかも知れない
    (幸せの形は人それぞれ)ということが
    言いたかったのかも知れませんねw

    返信削除
    返信
    1. あーうた変、のほうにそこんとこがあるんですか。アニメもじぇいど♪は見てない回がいくつもあったし、漫画も1巻めしかまだ読んでないんで読むの楽しみですね。
      うん、幸せの形はひとつじゃない、じぇいど♪もそう思いますねえ。成仏とはなんぞや、の解釈によって具体的に自分だったらどうしたいかってのは変わってくるでしょうけれども。

      削除
  3. ひゃーなんか名前よばれてるぅ〜ヽ(;▽;)ノ
    ええと、杉田圭さんの『うた恋。』シリーズの感想、と思っていただいたらよいのですが。(↑貸していて、今手元に無いのですが〜)宗教とかとの関係はよくわかりません〜(>_<)
    お能の『定家』って、少なくとも定家さんの没後160年くらいあとに金春禅竹さんによってつくられているのですね。つまり定家さんと内親王の叶わぬ恋の噂って、その間ずっとなんらかのカタチで伝えられていたわけで。
    両思いの2人がなんらかの障害に阻まれ悲恋に終わるーっていうのは、ロミジュリとかオペラのあれこれとかまあ洋の東西を問わず萌え☆シチュエーションなのかな〜と。
    えと、『うた恋。』で描かれた『定家』で、お坊さまが、「余計なお世話だったのかもしれないよ」っていってまして。
    内親王も定家さんも、思うに任せぬ人生だったとはおもうのですけど、でも障害ゆえ、燃え(萌え?(^_^;)る想いってのもあったはずで。
    そんな関係を「妄執」と名付け、お能という芸術に昇華しちゃったのが金春さん、なのかな〜。
    ヒトってそゆとこあるある!って私は思ったのですよ〜。なので、前回コメの「自ら囚われる」って表現になったのです。
    人間の業、というかをげーじつにしちゃった金春さん、パネぇ!んでそれをあるある!って『定家』を現在まで伝えたニッポンジンの感性もある意味ブラボー!…てな感じでしょうか。
    内親王は生まれ変わっていたら、もー、今度は和泉式部みたく恋に生きちゃう〜ってなるのでしょうか?…案外、同じようなシチュエーション、選んじゃうのか?年下の才能ある男子に慕われるって、おいしーわー(笑)とか?
    ↑また、蔓にぐるぐるされちゃいたい、となっちゃうのかも、ですねー!(◎_◎;)

    返信削除
    返信
    1. へへへー ちゃあさんスペシャルです 笑
      そうそう、思ったんですけどね、実際にそういう関係だったとしたら、あの時代のこと、自分たちの恋を大流行の源氏物語の中の源氏と藤壺の悲恋になぞらえてみたりでさらに萌えたり、したと思うんですよ。そりゃ自分の気持ちの中でもさぞ盛り上がっただろうな、とw
      そういう意味での「自ら囚われる」は、人間あるある、なんでしょうねえ。
      やーもうちゃあさんの「蔦にぐるぐるされちゃいたい」がほんとにツボっちゃいましたよwww

      削除
  4. ゲーム終了のとき、欠落感や未練を掴んじゃうから
    なんどもコンティニューしちゃうわけで、
    欠落感を落として、人間ライフを楽しもうね。
    というのが仏教かなー。となんとなく思ってます。

    返信削除