2013年2月3日日曜日

能 定家 蔦にぐるぐるされたい(笑) ありやなしや

 前記事よりの続きねー。

この記事につけてくれた、ちゃあさんの元コメから抜き書きしてみますと。
「お能の『定家』もすっごく観たいのですが、あれ、まあ解釈は色々でしょうが、ヒトって時に自ら妄執や悲しみ・哀しみに囚われるものなんだなあ…と。あの、前世とかで、また今世も同じ恋人と巡り会う…とか、一見ロマンチック!と思うのですけれど。…でもさ、それっておんなじこと繰り返してるだけで、せーちょーがなくないか?なんて思ったり。最近「ドラマを手放す」がマイテーマ(笑)で、どーいうことかなあってよく考えていたのです。私が子供の頃から感じてるアウェイ感って、結局、自分で選択してたんだろうなあ…。あれ、式子内親王と定家さんのハナシは何処へ…?σ(^_^;)」

やー ほんとにねー。まず「こんど生まれ変わったら一緒になろうね」とか 笑 「前回もその前もずっとずっと一緒でまた来世もね♪」っていうのをソウルメイトだ のなんだのって言って、そういう相手を探し続けるって話よくありますけどね。
やっ ぱ同じようなストーリーを繰り返すばかりなら魂として成長がない。そ の通りかと思うんですよ。小学校でも、班ってしょっちゅう変えたり、クラス替えしたり、しますでしょ?6年間仲良しさんとずーっとべったりだったら社会性 なんか つかないし、とても幅のせまい人間になっちゃう。

ま、 こりゃー個人的な話であって証拠なんかないですが、ちゅまの感覚でも、じぇいど♪の感覚でも、うちの家族って、もともとの近しいソウルメイト一人もいない んですよ。だからちゅまの推測では「これは新しく組み合わせたプロジェクト的な組み合わせじゃないか」って言ってたことがありますが。

だ からね、理想の恋愛相手を見つけるために、過去生で一緒だった恋人を探す、そのためにスピ的にあれこれ努力ってのは・・・まあ、人それぞれ好き好きだから いいんでしょうけれどもね、じぇいど♪的にはなんか違わないかそれー、なんですよね。そゆセミナーとかよく宣伝見るんですけれども^^;



そしてね、ちゃあさんのコメに「ドラマを手放す」って言葉がありますけれども。ここでいうドラマってなんなのかって言いますと。じぇいど♪的解釈よ?

幸福な家庭はみな同じように似ているが、不幸な家庭は不幸なさまもそれぞれ違うものだ

トルストイのアンナ・カレーニナの一節ですけれども、これがもうほんとにそのドラマがなんなのかをよく表してると思うんですね。それは潜在意識が自分を満足させるために自分に向かって作り出す人生のドラマ。

幸 せな人間ってまあおおむねただ幸せなだけで・・・その人生のドラマは傍からお話としてみたらあまり面白くはないと思うんですよ。他人から見ても、そして時 には本人にとっても。成長と刺激を求めるならば「なにか」が起こらないとなわけで、魂はその刺激的な環境を求めて地球に生まれてきているという説あります わね。

いや地上で転生し続けるほうが苦しい状態で、解脱すればもう転生しなるから魂ってのはそこを目指してるんだ、みたいな考え方もあるんでしょうが、まあそれは・・・正直好き好きでいいと思うんですよ。



ただ、やっぱまずいよなあ、手放したほうがいいんじゃないかなあ、って思われるのが、ここでいう「不必要な、本人が顕在意識では望んでないドラマ」を求めてしまう心の癖、だと思うんですね。

た とえばですが。愛情をやりとりすることになんらかのブロック、傷があると、たとえば・・・愛されてることを信じられなくて、でも確認・実感したくて、何度 も何度も相手の愛情を試すような形の不幸なドラマを作り出したり。自分で自分を病気にして同情を誘い、相手が自分を心配して世話してくれる状況を作り出す ことで愛情を確認しようとしたり。

あるいはこんな自分には相手と結ばれる資格などない、ってな思い込みがあって、彼氏ができても次々同じパターンで結ばれずに終わるとかね。次々とあまり望ましくない状況を「意識のなせる力」で引き寄せて、延々それを続けてしまうわけです。

こ れ、本人わかってやってるならまだマシでしょうが、引き寄せる状況ってのは自分の顕在意識でそうするわけじゃなくて、一見、自分の表面的な意思とは無関係 に目の前に現れてくる事象で不可抗力に見えるんで、わかりにくい場合がある。本人にしてみりゃ「どうしてあたしはいつもこんな羽目になっちゃうんだろう なーそんなこと望んでないのに」なわけです。

でもまあ、恋は結ばれない悲恋、ドラマは悲劇が好きなんだよ、だから見 るだけじゃなくて自分の実生活でもそういうハラハラどきどきを味わいたいんだよってことなら・・・まあ蓼食う虫も好き好きというか個人の趣味の問題でしょ うから、他人に迷惑をかけない限りは気が済んで飽きるまでやるのもひとつの選択、なのかと思います。他人に迷惑をかけない限りは、ここ、ポイントね。やっ ぱ、そのせいで次々とまわりの人を傷つけちゃうってのはよくないと思うからねぇ。

じぇいど♪は・・・ドラマは喜劇が好きな派だし現実の生活には平穏無事を、恋愛にはいちゃいちゃらぶらぶを(笑)求めるほうなんで悲劇のドラマは自分自身にはやっぱ勘弁デス^^;。



前 記事のコメ欄でみなさんがこの「定家」ってお能の話への感想書いてくださいましたけれども。やっぱ解釈、色々ありますけれどもね、客観的にみれば、成仏し ました、も、ちゃあさんおっしゃるような、やっぱり蔦にぐるぐるされちゃいたい(笑)もお好み次第のマルチエンディングで「アリ」だと思うんですよ。だっ て「お話」だから。

そしてなんで人間は古今東西「悲劇」を見るのが好きなのか、ってえのはやっぱ、自分の生活の中で は得られない、ってか引き寄せちゃったらすったもんだしちゃって困る「悲劇ならではの萌え」ってのをちょぴっと、自分自身の生活を壊さない安全な形で味わ う、っていうスリルを刺激として楽しみたいからなんでしょうね^^

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9 件のコメント:

  1. このコメントは投稿者によって削除されました。

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  2. >「不必要な、本人が顕在意識では望んでないドラマ」を
    求めてしまう心の癖~

    これやっかいですよねw
    本人が望んでいないのに
    いきなり重い悲劇が来ちゃうw

    >一見、自分の表面的な意思とは無関係に目の前に現れてくる事象で不可抗力に見えるんで、わかりにくい場合がある。

    自分が治らないと言われているややこしい病気になった時
    子供に「自分が引き寄せたんだ」と言われ
    「病気になったのって私のせい?!」と
    その時には憤慨したけれど、
    遠からず当たっていたようでw

    自分の「意識」が変わったら不思議と
    治らない筈の「病気」もなぜか治ったw

    きっと「思い癖」の病だったのだと気が付いた。

    リアルでは「世界の中心で、愛を叫ぶ」のように
    ドラマを見て感動するのがよろしいかとw

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    1. あー病気の原因はぜんぜん関係がないように見えて
      実は心の深いところで自分で作ってる、っていいますよねえ
      お子さんするどいっ!
      しかしわかって意識がかわったとたん実際に
      治らないといわれてた病気が治るってすごいです。

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  3. 今さっきまで
    先週映画でみた悲劇に引きずられて
    まさに不幸なドラマ思い込みの道を選ぼうとしていました^^;
    母譲りの悪い癖

    正気に戻れました☆

    平穏無事サイコー♪

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    1. 映画や小説はカタルシスの効果もあるといいますけれども
      ひきずられて意識がその作品に同調する
      シチュエーションを志向してしまうってこともあるんでしょうね。
      だからって悲劇は避ける、ってのもおかしいんでしょうけれどもね。

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  4. なにみえ米国編の総集編、みたいだなあ今回の記事…。
    じぇいど♪先生、私、米国編でこういうこと学ばせていただけたのですwありがとうございます。しかし若いおじょーさん方でショックを受ける人もいるのでは…それくらい囚われちゃっている人は「生き方」になっているかも。
    私、ドラマを手放せ、と同時にドラマを楽しめ、ってメッセージもあって。
    あくまで例えば、ですけど、式子内親王が私の過去世で。んじゃ今世をどう生きるかってときに
    1、またぐるぐるまかれちゃう
    2、今度はハッピーエンドを目指す
    3、別のドラマを選択する
    …まあ他にもありそうですけど、あらゆる可能性のどれを選んでもいい、のですよね。もちろん向き合わなきゃいけないかるま、とかはあるんでしょうから、すんなり行くかどうかは別の問題ですが。こういうある意味俯瞰した視点をもてると、それが傍目には悲劇だろうが喜劇だろうが、「楽しむ」状況になるのでしょう。
    あと、あらゆるげーじゅつ作品、物語って、「楽しむ」視点をもてれば、娯楽、プラス思い癖を知らせる鍵なのかなあと思いました。
    過去世っていいましたが、それがホントだろうがなんだろうが、私にとってお能『定家』がすごくひっかかる物語だった…というところが重要で。
    セミナーとか、ためになるものもたくさんあると思うのですが、それ以外でもスピ的にせいちょーするヒントは、日常や、自分自身がなにげなく惹かれたもの・ことにあふれているのですね~。

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    1. ぎゃぁ。せんせーはおやめくだされ^^; 
      ドラマを手放せとドラマを楽しめ、両方メッセージとしてくるってすっごくよくわかりますねえ。
      過剰で不必要な部分は手放したほうがいいんでしょうけれども、まったくドラマがない状態って想像してみると・・・人生としてものすごくつまらんでしょうねえ。
      うんうん、芸術作品の好みってものを客観的に分析してみると、自分の想い癖がわかる、セミナーだのセッションだの過去生うんぬんじゃなくてそういう普通に惹かれたものの傾向分析から自分を知ることができる、おっしゃるとおりだと思いますよ。

      そして過去生回帰って手法は、過去生ほんとか嘘かってのがポイントなんじゃなくて、見て浸って満足するだけじゃなくて、きちんとあとで自己分析に利用して精神成長に生かすことができるならば、共鳴できる芸術作品の鑑賞から得られるものと同様に、あるいはさらにストーリーに自由度の高いものとして有用だってことなんでしょうね。

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  5. 自分がつい最近体験したこと、そこで感じたこと、見えてきたこと、
    悲しいストーリーに同調してしまいがちななんてゆーか引力?
    (ちゃあさんのコメントのぐるぐるまきにされたいで吹き出してしまったw)
    なに見えでさりげなくまとめあがっているのが相変わらずすげー;orz
    そして、今ってタイミングにまとめて読んでるのももうすげーとしか…
    じぇいど♪せんせー、ちゃあ先輩!ありがとうございます!(笑)w

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  6. いまごろの返信ですんません
    そうですかそうですかってー でもぴ子画伯と私のリンクっぷりってのは
    昔っからのことで、不思議ですねーっていうかもう、当たり前じゃんっていうか 笑

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