2014年8月12日火曜日

チームおっさんs その6 私は全てであり、全ては私である 

スーさんにハメられる・・・いぇ、ご教授いただく直前の7月半ばのある日、ワタクシ、訳も分からずこんな日記を限定公開で残しておりました。最近はどこぞのビジョンみたいなもんは意識して見ようと思ってるわけじゃーこざいやせん。ほんとに唐突に流れ込んできたんで唖然としたんでわざわざ記録に残したのですが。

突然流れ込んできたビジョン

もうほんとに何でもないとき。 

おとーさんにもろーた、ドイツのチーズやさんに、ドイツのチーズなんかよりこれこれ!フランスのだけどね、もう最高だから!っておススメされたといううまうまチーズを、一人でちまちまお昼に堪能してたときにね。急にビジョンが流れ込んできましてね。 

広い建物に攻め込んでいる修羅場。火の手も上がっている。自分は数人を指揮している男性。かなりプリミティブな武器と装備。もしかしたら、以前さんざん見たローマ時代のあたり?ひょっとして、イアンと呼んだ過去生が住んでいたローマ人の館から拉致された戦い?しかし誰の視点?と混乱。 

(補足。以前インナーセルフワークをしたときに出てきた、過去生の一つと思われる、ガリア人だったイアン。10~11歳くらいのとき、一族の三分の一が犠牲になったローマ軍との戦争で捉えられ、地方のローマ人が買い取りそこで働くことに。しかし数年後、その家がローマ軍に攻撃されて(内紛?)その場から拉致されて軍のキャンプに下働きの奴隷として放り込まれ悲惨な目にあった、とこれまでは思っていました。)

あまりの普通の日常の中流れてくるビジョンに否定しようとするが、つけっぱなしのテレビの話が勝手に進むかのように、止めようとしても止まらない。 

最初はなんのことなのかさっぱりわからなかったのだけれども。気づいた瞬間、どっと状況が流れ込んできた。これはやっぱり、イアンが拉致されたときのことだけれども、見ているのは全く逆の立場。拉致したローマ兵のほうの視点だ。視点どころか、まるで自分の心情のように、心の動きも感じられる。 

攻め込んだ大きな館に数十人の固まった一般人、ほとんどが女性、老人、子供。衣服、様子からここの住人、使用人たちだと思われる。このままではこの人たちは火に巻かれて死ぬか、略奪物として連れて行かれるか。逃げろ、火をかけた、今でないと火に巻かれるぞ、と指示して逃がそうとする中に、一人、女性と見間違えるほどの、よく手入れされた白い肌に金髪の14、5ほどの少年がいるのに気づく。綺麗な恰好をさせられてはいるがどうやらここの主の子弟ではない。

この子は特にこのままではまずい、常識的判断としてここに放置すればこの混乱に乗じた暴徒にでも襲われて殺されるか、略奪物として売られるか。ただ逃がすのも困難と判断。部下に、犠牲になった倒れている仲間の衣服を剥がさせ、自分の装備、部下の装備を少しずつ提供させ、ローマ兵に仕立て上げてそこを脱出させる。 


ただただ、とっさに、関係のない奴隷たちを助けてやりたい一心だった。 たとえローマ人同士の権力争いの末の内紛だとしても 敵とみなした館の主の奴隷たちは、敵の敵は味方、 生き延びさせてやりたかった。 

イアンの立場しかわからなかったときはね。ただただ、欲望のままに無理やり略奪されて、奴隷という立場とはいえ、大事にされて、幸せに、裕福で文化的な生活を享受して暮らしていた場所から無理やり連れて行かれて・・・汚くて臭くて過酷なローマ軍のキャンプで暮らし、ローマ兵の日常を支える最下層の使役の奴隷という立場におとされた。そうとしか思ってなかったし、自分を無理やり連れだしたローマ兵を恨みこそすれ感謝などみじんもなかったのだけれども。 

そうじゃなかった。助けてくれようとした、全くの善意からだったのだ。あそこでその人に連れ出されなければおそらくすぐにでも命がなかったのだ。 

・・・ということをね。とても素直に受け止めることができて。 ようやく、自分の魂は、今、理解したのだな。と。 ほんとに、一歩一歩、遅々とした進行だけれども、魂にとって「ひっかかり」になっている出来事をほんの少しずつ、解消させられているのだな、と。 


★      ★      ★

まるで反対の立場を完全に我物として感じる。またまた同じ、最近続いてる例の課題じゃないか・・・とまずは思ったわけですが。

しかしね、こういうものを見せられると、過去生のビジョンって、結局なんなのだろう?とまたまたゆらぐわけですよ。ちょっと前はこんなこと→過去生じゃなくって・・・フラクタル 考えてたはず。

しかし。つまりはあの兵士すら自分だと言ってよいのか。そもそもイアンも学びのための「サンプル課題その1」にしかすぎないのか。

結局はその気になりさえすれば双方の視点で見ることが可能、なぜなら・・・
どちらも私に繋がっている存在だから。
私は全てであり、全ては私である
のだから。

そう思ったとたん。これまで丹念に見てきた自分の魂の履歴と思ってたものすべてが、一気に反対方向、敵側だと思っていた側にまで拡大されたような感じが。

この記事書いたときに起こった、自分の多次元に広がる別の部分と撹拌された、って感じとはまた違う、対立、という方向ですね。

ま、ほんとに一瞬のことで、しばらくしたら霧消してしまったのですが。それでも「貴重な体験をしたのかもしれない」と思えました。


つづく

今日もぽっちり、ありがとう( ^^) _旦~~ 

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10 件のコメント:

  1. 記事を拝読いたしまして、今「鬼平犯科帳」を読んでいるところだったので、長谷川さまがローマにも!と(^_^;)
    子供のころの友人と話すと、自分は「覚えていることがわりと多い方」だと思っていましたが…その記憶も「自分側」からのもの。「修正」もしてしまっているかもなぁ、とふと考えたりしました。

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    1. 鬼の平蔵www 似合うかも 笑
      そうそう。この体験はねえ、あらゆる場面に応用してできると思ったですよ。自分の子供の頃の記憶だって自分は誤解して自分勝手な修正をして覚えているつもりなのかもしれないな、ってのもそうですし、今自分が誰かにしている行為、発している言葉、好意のつもりでも全然わかってもらえてなくて、相手の記憶の中ではまったく違う体験になっちゃってるのかもしれない。そんなことが容易に想像できて許せるようになる体験でしたねえ。

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  2. すみません、美味しいチーズに反応しちゃいました…今日買ってきたばかりだったので。

    双方向から物事を見たら、敵と味方にわかれて(敵と味方にわかれたつもりになって)争っているのが馬鹿馬鹿しくなりますね。
    でも、それでも争い合うのをやめられない…まるで何かの中毒みたいだなって思いました(((^_^;)
    『分かっちゃいるけどやめられない』って感じ、なのかなって思います。

    あと、善意のつもりの行動が、全く逆の意味に勘違いされてしまうことも…けっこうあります。
    というか親切のつもりの一言で、相手が逆ギレしてくるなんてことも多々ありました( ̄▽ ̄;)
    ああ……人類全てがテレパシーを使えたら誤解はなくなるかもしれないのに(笑)。

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    1. ウマい野菜と肉に加えて美味しいチーズとワインとがあれば食卓は完璧!ですよね(*´ω`)♪ 
      そうですねホントに。バカバカしくもあり、悲しくもあり、滑稽でもあり。人はなんで争うんだろう、ってのをこのローマ時代を個人レベル視点と資料で見ることで、ほんと深く考えさせられましたが・・・わっかんねえ!わかったらノーベル賞もんだけどね。
      善意を届けるって難しいですよね。伝わらない場合もある。本人善意のつもりでも相手からすりゃよけいなお世話で個人個人違う境界線を越境してると相手が不快に感じてる場合もある。だからってなにもしない、のでは人と人のつながりは生まれませんし。

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  3. なんなんでしょうね・・最近敵や見方やーって考え方がはまらなくなってきました。←こういう表現しか浮かびません。
    上手く言えませんが「極」になるのがしんどくなってきました(ため息
    分析できる性格ではないので突き詰めてないんですけど^^;
    この記事読んで「あーそうか」って思いました。

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    1. 極になるのは、しんどいことだ。その感覚を、漠然として感覚でもいいから自分のものにできる人が増えてくれば、いいんでしょうかね。

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  4. じぇいど♪さん、おお、これですか! 書いてくださり、ありがとうございます!

    アカシックレコードの中で、別の視点からビジョンをみるのか、それとも、魂が分かれて、それぞれの立場の人間の中で同時に生きたのか、

    両方のパターンがあるのかなぁ、なんて私は考えをめぐらしています。

    どちらかではなくて、両方ありうるかなぁ・・なんて。 ある時はビジョンを共有、ある時は本当に魂が分かれて肉体二人分以上を同時に生きた。

    でも、結局、どちらも、すべては一つ、私はあなた、あなたは私、つながっている、っていうことなんでしょうね。

    こういう経験(両方の立場を経験する、両方の立場のビジョンを見る)って、それぞれの立場の心情がわかって、敵味方の堺がなくなるんでしょうね。

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    1. これですこれです。あそこでの話を忘れずにいて読んでくださってありがとうございます。

      これはねえ、わかんないです、私も。ほんとのところ、どういうことなのか。そこまで懇切丁寧に答えを言っちゃうようなことはうちの指導陣のおっさんsはしない主義みたいですし。

      おっしゃるように、いろんなパターンがケースバイケースである、ってことなのかもしれないなあと思いますね。究極のワンネス、と、個、の間のつながりってもんを、概念として言葉による理論だけで捉えるんじゃちっともわからんし、一気にわけわかんないまま体験としてのワンネスだけを一瞬体験させて、再び個にもどって、ほらね~すべてはひとつなんだよ~ってレッスンでも、論理だけ寄りマシなものの、とてもわかりにくい。

      だから、ワンネスというベクトルに向けての、個の次のステップ、ってのをはさむことでわかりやすくするレッスンがこれ、目の前にいた他者、敵、をそのまま体験する、なのかなあと。

      最終目的はやはり、意識の中の争いに繋がる概念をなくす、そして大きな「戦争」ってもんへの理解を深める、って課題なんでしょうけれども。なっかなか整理できないですねえ 苦笑!

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  5. 以前、『つきのつばさ』でteruさんの一枚の絵を見て自分で書いた日記に『長い旅のなか、相対する立場を各々が経験する。両極の体験を誰もが経験する』って書いていたのですが、我ながら、だからなに?って思ってました。(苦笑い)じぇいどさんの日記見て、こう言うこと言いたかったのね!!ってすごく府に落ちました。ありがとうございました(^人^)

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    1. 魂レベルだと、自分の様々な「部分」たちが経験してきた、様々な役割、差別する側、される側、殺す側と殺される側、愛する側と愛される側、親と子、男と女、いろんなベクトルの「極」の人生を体験して、それらを統合して、理解を深める、ってことを誰もがやってるのは、話として言われればわかるんですけど、たしかにおっしゃるとおり、一個の人生しか体験中じゃない我々にとっては、やっぱり普通の肉体感覚の中だけにとどまってる状態で理解しようとしても、だからなに?で^^; 

      まあ、ワンステップ、ワンステップ、少しずつやるしかないんだけれども、昔は「秘術」だの「奥義」だの言われて一部の人たちに独占されていたツールや知識や理論が手に入りやすい時代に生まれた我々ですから、そういうもんをうまくつかって互いに情報交換・刺激しあいながらあれこれ模索すると、面白い視点の拡大ができる世のなかなんだと思いますよ、うん。

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