2014年10月2日木曜日

山岳信仰って

御嶽山の噴火、死亡確認されただけで47人、になってしまっていますが。犠牲者の中にうちの子と同じ小学五年生の女の子がいたりしましたしね、本人のエピソード、残された家族の話を見聞きするたびにほんとに心が痛みます。

テレビで山頂付近が放映されるたびに鳥居が目に入るんで、信仰の対象にもなっているような「神聖な山」、つまり「神さまが常駐して見守っているはずの山」でどうしてこんなことになっちゃったのか、ずっともやもやしてたんですがね。

すると、テレビみながら、カイルの日本バージョン・・・

彼、2008年に日本に一時帰国したときに出てきた、まるっきり日本人の波動じゃないよねえwww、と複数の「わかる人たち」に言われていた私を、色々な感覚が開いちゃって以後、日本という土地にアジャストするサポートのために出てきた存在、ま、いわゆる守護霊の一人、なんですがね。

通称を、いりやす、と名乗ったのでそう呼んでるんですが、まあほんとはおーくにさんというか、もうちっと正確にいうと「大物主」さん、を個人サポート向けに波動あわせて下ろしてきた、みたいな感じらしいのですが。大物主さん、ってのは「山の神さま」として祭られてることが多く。今回も調べてみたら御嶽山頂上の神社にも、同存在だと言われる大己貴命(おおなむちのみこと)、として祭られていました。

ま、その「いりやす」が言うには。

「そもそも、山岳信仰の対象となるような山ってのは、山に神様がおるからむやみに入るでないぞ、ってことにしておいて、荒らされては困る自然を守るという意味もあったけど、危険な山で、一般の人たちの入山をできるだけ防ぐことで危険を回避していた、そういうものでもあったんだよ。火山だったり、登坂が難しい危険な山だったり。

だからそういう山って昔はそんな観光程度で大勢がひっきりなしに登るようなことはなかったし、登るのはせいぜい体力的にも訓練をうけた修験者だったし、そういう彼らはそれで命を落としたところで、覚悟ができてのことだしね。そしてなにより本物の修験者ってのはつまり「繋がっている人たち」だからね、事前に霊的な方法で危険を知らせて回避することもある程度はできたわけだし。それを変えてしまって大勢が訪れる観光地にしてしまったのは近年の人間なんだよ。正直、そうなってしまったら我々にできることなんてほとんどない。火山は地球が生きているからこその自然現象で、止めようのないことだしね。」と。

でもねえ、おんたけさん、に限らないけど、信仰の対象になってる山って、なにかお願いごとがある人たちが白い格好して、登ったり、あれはどうなの?たぶん、訓練積んだプロの修験者ではないじゃん。わりとふつうの人が行くんじゃないの?って言うたら、じゃ、調べてごらんよ、おんたけさん、で、その歴史を、って言われてぐぐって見ましたら・・・・なるほどね、なことが書いてありました。

まず、御嶽山登山に関する一般的説明。Wikipedia出典。

古来より信仰の対象として少数の修験者によって登られ、江戸時代に覚明行者が黒沢口を開き、普寛行者が王滝口を開き全国各地に御嶽講が広まり信者による集団登拝が盛んに行われ、現在も白装束の登拝者が見られる山である。江戸時代の御嶽登山者の病気や凍死による死亡者の記録(御嶽山遭難者遺族差出証文など)が多数残されていて、1847年(弘化4年)7月16日には山頂の強い風雨で7人中5人が凍死する山岳遭難が起きた[172]。1868年(明治元年)に黒沢口8合目の「女人堂」が御嶽山で最初に山小屋としての営業を開始した[173]。1872年(明治5年)に女人禁制が解かれるまでは、避難小屋などとして登拝者に利用されていてた女人堂から上部への女性の立入りは禁じられていた[173][174]。明治初期に外国人の登頂により近代登山が始まった[175]。

そしてここが、あああああ、って思ったところなんですが。

御嶽信仰を広めた行者
覚明行者

黒沢口の登山道の九合目にある山小屋「覚明堂」。覚明行者は1785年(天明5年)に黒沢口を開き、翌年登山道の改修中にニノ池畔で病に倒れこの場所に埋葬された。山小屋の横には覚明行者を祀る霊場が現存する。
覚明行者(かくめいぎょうしゃ)は、1718年(享保3年)3月3日に尾張国春日井郡牛山村皿屋敷の農夫丹羽清兵衛(左衛門)と千代の子として生まれ、幼名は源助で後に仁右五衛門に改名、幼少期は新川村土器野新田の農家で養われていた[102][103]。出身地の愛知県春日井市立牛山小学校の校歌で、「北に御岳見はるかす 覚明行者の産湯の街に」と歌い込まれている。1818年(文政元年)10月の『連城亭随筆』で「医師の箱持ちをした後お梅と結婚し餅屋を開き商いをしていた」と記録されている[103][注釈 5]。ある時予期せぬ出来事(盗みを働いたと疑われたことがきっかけとする説がある)が起こり、各地で巡礼修行を行い行者となった[103]。

木曽谷の村々で布教活動を行い信者を増やした[104]。1782年(天明2年)御嶽山を管轄する神職武居家と山村代官に登山許可の請願を行ったが、数百年に渡る従来の登拝型式(精進潔斎)を破ることになるため却下された[105]。しかし登山許可がないまま1785年(天明5年)6月8日に地元住民8名と、6月14日には尾張の38名の信者らと、6月28日には約80名を引き連れて強引に登拝を行った[105]。登拝したものは罪を受け、覚明行者も21日間拘束を受けたとされている[105]。

1786年(天明6年)にも多数の同志を引き連れて登拝を強行し黒沢の登山道の改修を行ったが、その最中の6月20日[注釈 6]にニノ池畔で病に倒れ、その直下にある黒沢口九合目の覚明堂の宿舎上の岩場に埋葬された[105][106]。

山小屋「覚明堂」の横に覚明行者の霊場が現存する。その後覚明行者の志を受け継いだ信者により黒沢口の登山道の改修が完結され、覚明行者が強行登拝したことによって事実上の「軽精進による登拝解禁」となった[105]。信者が増加し福島宿に経済効果が生まれるようになったこともあり1791年(寛政3年)6月には麓の庄屋が連名で武居家に軽精進登拝の請願を提出し、1792年(寛政4年)1月1日に許可が下された[105][106][104]。6月14日から6月18日まで間に、入山料200文を徴収し、軽精進による登拝を認めるという規定が作られた[105]。1850年(嘉永3年)に上野東叡山日光御門主から菩薩号が授与された[107]。覚明行者は麓の開田西野で村人に「アカマツの苗が育てば必ず稲ができる」と教え、村人が苗を植えたら育ったことから開田の地名が生まれ、その由来が1806年(文化3年)に設置された稗田の碑に刻まれている[104]。御嶽山を中興開山させた先駆者とされている[108]。

もっと詳しい経緯が、覚明行者に好意的に書かれているのがコレ。
http://www.gld.mmtr.or.jp/~hiroh/rekishi/kinsei/kinsei5.htm

つまり・・・管理してた神職と代官が止めるのを振り切っての強行突破登山によって、おそらくはなしくずし的に始まり、50万人にもなる信者による観光経済効果で潤った麓の人たちの圧力で開山された、それでもたった5日間の登坂、なのか、その5日間に届け出を行えばいつ登ってもよい、なのかわかりませんけれども。無制限に届け出なしで登っていいような山じゃなかったわけですね、うん。

その昔は100日とか75日の重潔斎、行場にこもって水垢離と肉断ち、だったものが、たった1日や3日の軽潔斎でOK、ということになり、険しかった道が整備されて登りやすくなり。現在では7合めまでロープウェイがあり、3000メートル級にもかかわらず、年間10万から20万人が訪れる場になっておる、と。


日本で高い山の登山なんかしたことなかったですからわたくし知りませんでしたが、法的には登山届って徹底されてないんでせいぜい半分くらいの人しか出さないもんなのだそうで。行方不明者ってのは「うちの○○から連絡がない、連絡とれないんだけれども、もしかして御嶽山に登っちゃってたんじゃないだろうか」という程度のいい加減な問い合わせでも「行方不明1件」とかうんとされるんだ、とテレビで警察だかどっかの人がインタビューされて説明してましたが、届出が徹底されてないとなると、あと何名山頂に取り残されている可能性があるのかは、把握するのも難しいわけですね。

しかし家族から問い合わせがあって行方不明者がいる可能性がある限りは捜索を出さなければならなくなる。日本は、そんなの自己責任なんだから放っておけよ、という社会じゃないですし。今日も1000人体制で噴火のおさまっていない、いつまた噴火するかわからない状態の山に自衛隊や消防の方々が捜索にほんとに命がけで入ってくれているわけで。


いりやす「今の人はさ。山っていうとなにがなんでも山頂まで登りたがるじゃない。たとえばパワースポットとしての恩恵を望んでるんだったら、8合目、とか9合目、とかで、充分なんだよ。信仰の対象ならば、麓から姿を日々見るだけだっていいくらいだ。

昔女人禁制だった山って、多いじゃない?あれもだいたい、途中までは行けるようにしてある場合が多い。なぜ女人禁制なのか、ってのは様々な要因があるから一口にはその原因は言えないし、無意味なことではあるんだけど、危険だから、という観点からは、たしかにそのあたりより上が危険地域なんだよ。

結局さ。法的には今は禁止されてないけれど、もし誰かに迷惑をかける可能性があるんだったら、昔、登山が禁止されていたような山には無理に登らない。もっと低い安全な地域で楽しむだけでも十分自然や山の気の恩恵は受けられる。山の神を、というか、自分自身だけでなく、自分になにかあれば今回のように他者の命をも危険にさらす可能性があるなら、それらを尊重するから「あえて登らない」ってのも、懸命な判断だし、山の自然を、人の命を、尊重する精神だよ。山岳信仰、って、本当はそうあるべきものだと思うのだけれど、ね。山頂を制覇することで願望が達成されるんではなくて。山ってのは、もちろん「気的な面」だけじゃなくて、実際面で人間に様々な恩恵をもたらすものだし、ね。」

・・・ってのが、彼からの感想でした。



その昔入山禁止の歴史があったような山ってのは・・・歴史的にどんな山なのか、そもそもなぜ入山禁止になっていてどんな経緯で開山されたのかを複数の視点から検討して、たとえ法的に規制がなくても、ないからこそ、自分の判断で「そこは山頂まで登っていい山なのかどうか」よーく考えるべきなんだなあ、山を楽しむ、って、中腹でも充分なんで、なにがなんでも山頂を目指す必要もないんだろうなあ、って思わされました。

・・・ま、のぼらないけどね、そんな険しい山。じぇいど♪、高度に関してはめっちゃ弱くて2000mちょっとのシャスタ程度でもくらくら、3777mのモンブランの展望台登ったときはその晩吐いて寝込んだりしてましたから^^;。

で、現実問題としては、世界文化遺産の選定で湧いた富士山もあと2年弱の間に噴火対策整備をしなきゃ登録抹消らしいですし。http://www.nikkei.com/article/DGXNASFK0400F_V00C14A2000000/
この痛ましい出来事を糧に、「火山地域に入る」ってことに対する意識を、一般人の我々も、山を管理している省庁はじめ公的な機関のほうでも、見直すべきなんでしょうね。


日本は世界の火山の7%、110もの活火山の集まる、火山の国、なんですから。


犠牲になった方々のご冥福と、捜索隊の方々の無事をお祈りいたします。


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14 件のコメント:

  1. じぇいどさん、投稿ありがとうございます。
    何と言うかものすごく腑に落ちました。
    今回被害に遭われた方々には勿論心が痛みますが、最近の登山にまつわる事故のニュースの多さ、富士山登山にまつわるごみ問題等々信仰されている方々とこの現実の乖離に私ももやもやしたものを感じていましたから。
    そして一番刺さったのはこの部分
    「信者による観光経済効果で潤った麓の人たちの圧力で開山された」

    とにかく今は救助活動にあたっておられる皆様が
    無事にいらっしゃることをお祈りします。

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    1. 金細工師さん
      今回のこともすぐに周辺の町の観光業者の心配というニュースに繋がっていましたね。現代でも危険がある地域にもかかわらず経済効果を優先させて危険性についての情報を出さないまま観光誘致してしまったり土地を住宅用に売却してしまうというのは山に限らず起こってしまいがちなことかと思います。残念ながら自衛するしかないのでしょうね。

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  2. 長野で噴火といえば浅間山なので、とても驚いています。
    山岳ボランティアをやっている知人が、昔は登山は富裕層のレジャーだったと言っていた事を思い出しました。
    装備や知識、それに関わる時間を取れる人達は限られていたと。
    経済的な豊かさの影に、忘れ去られた大事な事があるんだなと強く感じています。

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    1. 千歳さん
      そうですよねえ。おとーさんもよく浅間山の周辺で仕事してるので、すぐに、あっちも連動しないといいなあ、って連想してました。そうですか、昔は富裕層のレジャーだったんですね。今回のことは様々な面から国も一般の我々も検討し反省・改善すべき点があればすべきなのでしょうね。

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  3. 以前投稿したことのあるなつです。
    昔、修験者に憧れました(笑)実際、トレッキングで修験の入り口位の里山歩いていて思うのは、修験者は良い意味で人間じゃない!です。修験道を実際歩かれてるかたにお会いしたことありますが身体とか精神力とか違い過ぎます。私には無理(笑)山に畏敬の念を抱く、山と神様と自然を大切にするのは登らなくても出来ますものね。いりやすさんの言葉に激しく納得し自分にあった関わり方したいな、と思いました。

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    1. なつさん
      修験者、あまり詳しく知りませんがすごい世界なんだろうなあ、日本人は大事に継承していくべきだろうなあ、って思いますね。今でも修験道の修行されてる方々は沢山いらっしゃるのでしょうけれど気的荷も体力的にもすごい方々がいらっしゃるのでしょうね。そういう方々の精神や知恵にもっと触れれば我々一般人も「山とは」とか「山との付き合い方」のヒントや危険性に対する心構えなど得るところは大きいような気がしますが一般メディアではなかなか見かけませんね。

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  4. おんぽたんぽ3/10/14 3:27 午後

    じぇいど♪さん、貴重な情報どうもありがとうございました☆ こんな大事が起こったのに、虫の知らせも無いなんて! 虫さん、お仕事さぼってたのかしら?とか、一瞬
    思いましたが、虫の知らせを受け取るにも、こちら側の体制が必要ですよね。。。

    修験者の方なら、きっとトレーニング゙積まれてて、危険を察知できたかも知れないけれど
    一般の人達は、どうしたら?と考えていましたが、七田式の右脳教育の本を初めて
    手に取って(今頃!^^)、あ、この手があったかも?と、一瞬考えました。

    右脳って潜在意識で、潜在意識だけだと、どこにあるのか掴みようのないニュアンス
    だけれど、右側の脳なら触れる。。。ここににも潜在意識があると思うと
    何だか不思議です。

    と言うのは余談で、七田式は(最新のは存知上げませんが)詰め込みじゃないけれど
    部分的にですが、詰め込みっぽく私からは見えて(食わず嫌いなだけかも知れませんが)、虫の知らせを受け取る方法、何か良いのはないかしら。。。

    でも、3.11でさえ何の兆候も感じなかったので、とにかく歴史的に見て危険だったか
    どうか調べるのは、とても大切なんだな。。。と、今回じぇいど♪さんの記事を拝見し
    強く感じました☆

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    1. おんぽたんぽさん
      危険の察知、虫の知らせって鍛えるにはどうしたらいいんでしょうね?右脳トレーニングがそういう危険察知能力の向上にも効くかはわかりませんですが、七田先生の教材などに実際長年触れてきて色んな意味でたしかになんらかの効果があると思いましたし、著作も人間の脳の広い可能性を感じさせるものでした。そして危険察知能力に優れた我が家のおとーさんは確かに右脳人間ですね。七田方式は詰め込みのように一見見えますけれども、あれはつめこみではなくあくまでも「脳に刺激を与えることで回路をつくる」という考え方で。小さい頃にやっても知識そのものは残んないですね。でも、視野だの動体視力だの記憶方法だの文を読むときの脳の使い方、目の使い方なんかには確かに影響したんじゃないかと思いますね。
      でもおっしゃる通り、第六感、に頼らなくても現代の情報機器、情報ネットワークが発達した社会では自分が関わるモノゴトに関しての情報というのは求めさえすればかなりの詳細まで手に入るわけですから、危険回避についても既存の普通の情報をまず巧く使えるようになりたいものですね。

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  5. 少し気になったのですが、虫の知らせで『なにか変だ』と気づいたとき、山に登るのを中止出来る方ってどのくらいいらっしゃるのでしょう。
    例えば、今日しか休みがないから…とか、ここまで来る旅費がもったいない…とか、急に中止にするのは一緒に登る方に迷惑をかけるから…とか理屈をつけて、虫の知らせを無視する方も多いのではないでしょうか。

    虫の知らせを感じる能力があったとしても、それを信じて行動することが出来なければ、感じ取れない場合と同じ結果にしかなりません。
    直感を信じて行動するのは勇気が必要なんです。
    勇気は何かをするときにだけ必要なんじゃなくて、何かをやめるときにも必要なんだと思います。

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  6. やーこれはほんと、直前のおしらせだけだと難しいと思いますよ。ちょっとそこじゃなくてこっち曲がんなさい、いいから。って言われて何事もなく終わる。そこ曲がらなかったらなにがあったかは結局わからない。程度なら日常たまーにありますがね。やっぱり計画しちゃった旅行を直前にキャンセル料払ってまでキャンセルってのは私もできないでしょうねえ。
    だから上の人の取る方法は普通の場合は多分もっと間接的なんだと思いますよ。例えばサリン事件の話以前に記事書きましたけれども。http://nanigamieterujpn.blogspot.jp/2012/03/blog-post_20.html
    この話でもじぇいど♪パパが何十年来同じだった通勤時間とルート、乗車位置、を変更したのは1か月前のことです。
    落ちた飛行機に乗り遅れた、なんて話もありますよね。
    http://www.jikanryoko.com/timewarp248.htm
    ただの偶然でしょで済ませるか、守ってもらえてよかったねなのかは、その人の考え方でしょうが。
    しかし繋がってる自覚が大なり小なりある人が霊的世界からの直接的な「指示」で何かをする、何かをやめる、ってのはもう、どれだけ繋がりを信じて行動する勇気があるか、というテストみたいなものか、あるいはよほどもう覚悟が出来上がった人じゃないと上もそういう方法はとんないでしょうね。

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  7. 書き込みは、はじめましてですm(_ _*)m

    なぜだろう?って、わたしも疑問に思っていたので、とても勉強になりました。
    なんとなくですが…山自体はそんなにモヤモヤしてるように思えなくて(あまり得意じゃないので…わかる人が見たらどうなんでしょう?)、不思議に思っていました。

    歴史を知ることは本当に大切ですね!
    地元のモヤモヤする場所とかも、歴史を調べてみると昔火事が頻繁にあった場所だったりして、じゃあその慰霊碑はどこにあるのかな?って調べてみたりしたこともありました。
    結局慰霊碑は見つけられなかったのですが、歴史を知ること自体が供養にもつながるんじゃないかな…なんて思ったりもしています。

    じぇいど♪さんの通勤ルートや飛行機のエピソード、興味深いです☆
    わたしも何度か助けてもらったことがあるので、日頃からガイドさんとのつながりはちゃんと意識していたいなーって思っています。

    最後に、わたしは何か特別な場所に出掛ける時は「三脈の法」をしています。

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    1. 歴史を知ること自体が供養にもつながる、ほんと、そうなんでしょう。

      三脈の法、初めて知りましたが昔から伝わってるものなのですね。
      面白い方法ですね。

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  8. 私の父は御嶽教を信心していますが、山頂まで登らず里宮でしか祈らないそうです。里宮の奥には洞窟があり、そこで祈るとか。
    沖縄の拝所もそうですよね。
    嶽は沖縄では(うたき)と読みますし、王滝村の地名のルーツは沖縄まで遡れるかも。
    ヤマト言葉と沖縄の方言は「お」は「う」に、「え」は「い」に変換されるんですよ。

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  9. あああああ。非常に納得な話です。ありがとうございます。
    やはり山頂付近は本来ならばみだりに入るところではなかったのですね。
    沖縄と繋がっている可能性もあるのでしょうか。興味深いです。

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