2014年11月12日水曜日

ある光景~インナーチャイルドの傷

先日、ある激混みショッピングモールのフードコートで見かけた話。子沢山の若夫婦がいたんですよ。一番上のお姉ちゃんが4歳くらいで下にあとちっちゃいのが2人。見るからに大変(笑)。

お父さんはちょっとオツカレ気味。そりゃそうでしょうw そんなちっちゃいの3人連れて何度も列に並びながら買い物だの食事だのするのはHPおもいっきり削られることでしょうwww。

食べ終わって使用済みの食器を返却所に持ってったお父さん。動き回るちいちゃい下の子たち2人の世話に懸命なお母さん。

てことで。お姉ちゃんはけなげにもお手伝いしようと思ったんですね。小柄なその子には大きくて重たいであろう、割れ物のお皿が乗った残りのお盆を自分で返却所に持って行こうとしまして。

おかあさんはちょっとだけどうしようかな、って感じで躊躇したものの、本人の意欲を尊重したんでしょう「じゃあ、お父さんに渡すだけね」と持って行かせました。そうですね。返却口に届かなくともここはやる気を尊重して何かやらせてあげなきゃですね。

まあ当然危なっかしいんですが、そーっと、そーっと、真剣な顔で慎重にバランスを取って上手に歩き始めました。えらいえらい。

お母さんはというと・・・・一人っ子だったらここで後ろからじーっと見守ってたり咄嗟にお盆をつかめる距離で着いて歩くところですが、それどころではないので(笑)、またおチビさんたちのほうに向きなおりました。

するとですね。まだ3メートルも移動しないうちに返却所からもどってきたお父さん、
「わあ、こら、危ない!」
とかなんとか、大きな声で女の子をとっさに叱りつけて、お盆を取り上げてさっと返却所に持って行きました。



女の子は、最初、その場に立ち尽くして茫然。で、みるみるうちに顔を歪ませ、うわーん、と泣いてお母さんに走り寄って抱き付きました。お母さんは背を向けてたので、なんで突然泣き出したのかわからない。

あんまり可哀想だったんでおせっかいおばちゃんなの承知でじぇいど♪、
「持ってったら途中でお父さんに、あぶない、って、叱られちゃったんですよ。お手伝いして褒めてもらえると思ったのに、叱られちゃったから悲しかったんだよね。」

・・・って、暗に「ここは慰めて褒めるとこだよ」ってヒント込めたつもりで言いましたら・・・お母さん、こちらをちらっとみて、はあ・・・とかなんとかいっただけで、娘に・・・フォロー、なんもしませんでした(;´・ω・)。まあわかります。だってちっともじっとしてない後の2人の世話で必死でそれどころじゃないし、現場を見てなければ実感もわかないからね(*´ω`*)。

そしてね、咄嗟に出る言葉が「こら、危ない!」なのもわかるんですよ。内心「ぎゃーやめてあぶない割ったらどうする」でも、本人には笑顔で「ありがとねー よく運べたねー えらいねー」って咄嗟に言えるようになるのはもっと親の経験値が上がってから。一人目って多分そういうもんでしょ^^;。

すぐ戻ってきたお父さんは「さ、いくぞ」って皆を引き連れ、娘の表情におそらくは気付かず、行っちゃいました。その子も長泣きなどせず、涙をのみこんでさっと家族の後を追いましたとさ・・・。



他人が離れた場所から見てたら、なにが起きたか一目瞭然なんですがね。

あー本人すら原因となった出来事をすっかり忘れちゃっててなかなか対処が見つからないインチャの傷ってのはこういうちょっとした出来事の積み重ねでできるんだろうなーと、しみじみと思いました。

しかし子沢山でいつでもカオスゆえに娘の気持ちには気づくことのない親の必死さもとってもよくわかるので(笑)、おばちゃんは微笑ましく見守りながら、「買ってきたよー」と席に食事を運んできてくれたみんなと優雅にのんびりお食事しましたとさ・・・と言いたいところですが、我が家の食事風景だってまだまだそれなりにカオスwww



今日もぽっちり、ありがとう( ^^) _旦~~ 

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21 件のコメント:

  1. じぇいど♪さんのおっしゃる通り、親の気持ちもすごーくよく分かります。でも大人になってからいろいろ思い出すんですよね、小さい頃のこと。

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    1. 思い出せる出来事はあれ嫌だったんだよなーって思い出して、今の大人の目で見るといいんだと思いますよ。やっぱ大人になってやっと「いやそれは可哀想だったよ自分、でも仕方なかったんだね」って思えるようになるもんでしょうし。厄介なのは覚えてもいないことなんだろうなーと思います。

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  2. お姉ちゃん…お母さん…お父さん…
    誰も悪くないのに〜。・(ノД`)・。
    すれ違い、誤解って本当に悲しいことの一つですよね。
    うちの子も日中傷ついたことや飲み込んだ事があると必ず夜泣きがくるので、
    繊細だけどその場ですぐうまく説明できない3歳児と周りの環境にすれ違いがないようフォローしまくる毎日です(;ω;)
    まあ夜泣き中これが悲しかったの…嫌だったのうえ〜んと泣いてくれるので、タイムラグはあるけどわかって良かったな、とは思うのですが
    たぶんこれほっとくとトラウマやら情緒不安定になるんだろーな、と感じます。
    (その後これはこうだったんだよとか明日やろうねとかお母さんが悪かったごめんねとかフォローして納得?するとまたすーっと寝る(´∀`;))
    きっと件の子は救われたでしょうね。
    親の目も今後すべてに行き届く訳でもなし、子供には強さと、じぇいど♪さんのように頑張った自分を見てくれた人がいることの暖かさを知って欲しいなと思います。

    自分の子でも他人の子でも、トラウマ発生はなるべく無くしていきたいですね。

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    1. おおお、ありましたねえ、そういう幼児期の夜泣きでどうしたの?って聞くと、昼間あったことを語りだすこと。でも3歳でそれができるとは、表現力のあるお子さんでよかったですね~。これがまた口下手だったりするとフォローも難しいでしょうしね。お母さん、ナイスフォローです♪

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    2. ありがとうございますm(_ _)m
      昨日もまた夜泣き中、
      「うえ〜ん…お母さんの作ったお茶が飲みたかったあ〜…(T^T)」
      いやそれはその場で言おうよ。ね。
      ごめんよ確かに麦茶作るのめんどくさくて最近お水かお湯にしてたけどさ(ティファール万歳)
      こんなんでトラウマ作らんでくれえ〜(´;ω;`)
      と様々な思いが脳内を駆け巡りましたが、「ごめん!明日作るからね!」と謝ってとりあえず白湯飲んでまた眠りについてくれました。

      嫌なものは嫌!ってすぐ言える性格言えない性格もありますが、子供ゆえにとっさの理解力(今自分は傷ついたと気づくこと)と表現力が未熟なのはありますよね。
      でも子供は自分なりにその対象を遊びで表現して消化していくというのも聞いたことあります。
      みかさんのお話にでてくるYちゃんも、おばあちゃんの真似っこごっこしたり、311の時も肉親を亡くしたにも関わらず津波ごっこをする子もいたとか。
      でも繰り返しそうすることで自分なりに物事を受け入れ、傷を癒し立ち直っていくそうです。ご存知かと思いますが心理学でも遊戯療法と言うそうですが、子供が子供らしく遊べる環境にいられれば、きっとトラウマもできないのでしょうね。
      家事しながらご飯や風呂歯磨き寝かしつけ、と一日の終わりには怒涛のように追い回す前に遊び足りてるか確認しなきゃな。
      と書きながら反省しました。
      最初に書こうと思ったことと違う方向に行ってしまって文章がおかしくなってるかもですがすみません。
      おかげさまでちょっと夜泣きに疲れてましたが突破口が見えました。
      ありがとうございました!

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    3. 嫌なものは嫌とすぐ言えない、ということは、その年齢なりに空気や状況を読んだ上で「今はこれで我慢しよう」との判断かもしれないですよね。でもそうやってあとからでも不満だったことをちゃんと表現できるのは素晴らしい。
      遊びで消化、ありましたねえ。うちも911のときはレゴで飛行機とビルらしきものつくって、ぶーん、と飛んできてぶつけて壊す、ってことちゅまとももちゃんでしてましたね。おーこれが教科書にあったあれかー理論なんか知らなくても子供は勝手に編み出すもんなのだなって感心した覚えがあります。
      ふふふ、一日の終わりの怒涛の寝かしつけタイム懐かしいですねえ。しまじろうだの米国の赤い恐竜バーニーだののしつけソングでごまかしながら毎日大騒ぎでしたねwww
      幼児の夜泣き、やんなっちゃいますが、7歳くらいに脳の構造が変わるからぴったり終わるよ!って医者に言われてたらほんとに7歳で終わりましたね。まだまだ数年あるでしょうがファイトです^^;

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    4. なるほどー7歳ですね!…7歳か…うふふ、頑張ります…(;ω;)
      私に似ず娘は空気読みなので、きっと我慢もありますね~。
      脳の構造が未熟?ゆえの夜泣き、ってことなのでしょうか。
      そういえば7つまでは神のうち、7つまであの世とこの世の境が曖昧だという話も聞きましたが、昔の人もなんとなくわかってたのかな?面白いですね!


      そういえば他の方のコメント欄を読ませて頂いてふと思ったのですが、
      日本人の自己肯定感が低い理由は、特に幼少児期に「愛されてる」実感が持ちにくいから、じゃないかなと思いました。

      もちろん、世の保護者は私も含めほとんどの人が子供を世界で一番愛して一生懸命育てています。
      でも、言葉に出すことが少ないのです。みかさんのおっしゃる(横からすみません)あやし方もそうですが、声にしないのが普通。見てわかれ、不言実行ってな具合です。
      私は祖母がクリスチャンのため幼児~高校生まで教会の日曜学校に通っていて、
      そこで聞く歌や聖書や牧師先生のお話であなたは家族から愛されている神様に愛されている友達からみんなから愛されていると言葉のシャワーを浴びて育ちました。
      キリスト教のお話はなんでやねんと思う事が多くてあまり受け入れられなかったけど(´∀`;)愛のお話は素直に入ってきました。
      おそらく教会に行ってない一般的な日本人の子供に比べて、両親以外からの愛の存在というのが知らず知らずのうちに染み込み、日本人にしては自己肯定感の高い方であることに繋がってると思います。
      欧米ではそれに加え家族や恋人間でのI love youも多いと聞きますし、まず愛されること、そしてそれを実感できることで人間の土台ができ、幸福を感じながら生きていけるんだろうなあと思いました。
      日本では、夫が妻に愛してるというのも照れ臭い、愛を語るのもくさい、スカしてる、愛し合おう=Sexしようのような性愛に近い感覚だったり
      親子愛や博愛といった風に愛に名前をつけておかないとなかなか真面目に語れません。
      教会に通ってるというとちょっと変な人珍しい人扱いですし、新興宗教じゃなくても宗教者は日本人でもちょっと毛色が違うように思われます。
      愛の存在が下地にある自信を持った人間は、自信、自尊心のない人間にとって得体のしれないもののように思うんでしょうね。
      その代わりではないですが日本人にある万物に魂が宿るという考え、自然やいろいろなもののお陰様で生きているという感覚があってそれも一言でいうと愛だと思うんですが、
      自然と触れ合う機会が減って大きなものが見えなくなって、自分はちっぽけだけど大事にされてる生かされているという感覚も減ってるよなあと感じます。
      子育てしながら自分の生育歴を振り返ってみて、子供にできることはなんでもやってあげたいと思いますが、まずは愛してるよ、大好きだよをたくさん言って、今生きているこの場所の素晴らしさを実感してほしいと思います。
      全くの自論で長文すみません。
      たくさん考えさせてもらった記事とコメントされた皆様に感謝!です。
      ありがとうございました。

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  3. みかです。
    ああ、両方の気持ちがよくわかるので、胸が痛いです。
    本当にねえ、いっぱいいっぱいの時の親は、子供のフォローなんてできないし、そもそも、子供が傷ついていることに気づく余裕もありませんもんね。
    ただただ、目の前の作業をこなすだけで、せいいっぱいで。
    それどころか、子供が泣くと、親の方だって、なんでこの子はこの忙しい時に協力的に動いてくれないんだろう、と思って、傷ついてしまったり、腹立ち紛れに子供にイヤミを言ったりする、こともある。
    親だって、余裕がない時には、けっこう子供っぽいエゴ丸出しになっちゃいますもんね。
    だって、一人の人間の体力や精神力や洞察力には、エネルギー的な限界があるんですもん。そして、親だってSOSを出している。
    三次元界に生まれるっていうことは、こういう人間ならではの物理的なエネルギーの限界の中で体験を積め、そして学べ、ってことなのでしょうかねえ。
    私も、けっこう重度の虐待家庭で育った人間ですが、じゃあ、あの時の親に他に何ができたか、と考えると、当時の世の中の価値観や親が置かれていた状況や心理学的な情報の少なさ、親自身のトラウマや思い込み、そして、親や私たちきょうだいの発達障害的な傾向などからして、あの親にはああしかできなかったんだろうなあ、と思わざるを得ないんですよねえ。
    私はどうかと言えば、私には子供はいませんけど、今、夫の介護に必死で疲れているので、自分の弱さやすり込まれたパターンがいろいろなところに露呈しがちになっていて、そのことに時々ハッとして、『この年齢にしてまだこの未熟さか』と不安になる日々です。
    私に子供がいたら、きっと、いろいろまずいことをやらかしてしまっていただろうな、と思わざるをえません。
    こうして、被害者になったり、加害者になったり、支え合ったりしながら、一生、三次元界という学校で、人間は学ばされるのかあ、と思うと、ちょっとしんどいけど、ま、そんなもんか、と思いながら、過ごしています。
    でもまあ、親世代の頃に比べたら、今は、心の仕組みについての情報も豊富に得られる時代になったことだし、その動きは今後も進展していくんだろうから、これからの子供たちは、こういうトラウマを乗り越えやすくなっていくといいな、そのための環境も整っていくといいな、と思いますね。

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    1. そうそう!とりあえず命にかかわる安全の確保が先決!な小さい子がおる時期には、とりあえず「いなくはならない」上の子の気持ちのフォローまでは手が回らないでしょうねえ。こっちと2、3言、話してる間にあっちがソファーからジャンプして転落、だのになりかねませんから。

      たしかにさらに小さい子たちで必死な状況で後ろでさっきまでご機嫌だったはずのおねーちゃんまでが泣き始めた、ってのは、親としては「どうしたの?」の前に「こっちもか・・・こんどはなんだ(;´・ω・)とほほ」ってうんざりモードになりかねないですよね・・。
      介護、ほんとにお疲れ様です。そういう大変さの中で当然生まれがちなエゴからの気持ちを、自分自身の内観に方向性を変えて考えることができるみかさん、すばらしーですね。
      たしかに、持ち回りで役割をとっかえひっかえ、学んでいる学校、なんでしょうね。そしておっしゃる通りたしかに現代は参考になる情報が昔よりも豊富だし、繋がりが昔だったら生まれ得ないような遠方の人、知らない人とも意見交換ができたり、心を支え合ったりできるようになって、ほんと、『学校」の環境として、ありがたいことですね^^。

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    2. みかです。
      じぇいどさん、いえいえ、そんなすばらしくなんかないです。
      自分の不安の原因を夫のせいにして、イヤミを言ったりしがちです。
      で、時々、『さっきあんなこと言ってごめんねえ』と謝ると、夫に『気にしてないから心配しなくて大丈夫、慣れてるから(ニコッ)』なんて言われてしまったり。
      ああ、私が夫に対してしてることって、私の母が私にしてたことにそっくりではないか、と思ったりしますよ。

      それはともかく。
      子供の気持ちを代弁する、ということに関して、思い出したことがあります。
      昔、子供の英語教室で教えていたことがありまして。
      その教室に来ていた子の中に、Yちゃんという子がいたんです。
      その頃、YちゃんのおかあさんがYちゃんの弟を出産することになり、おかあさんが入院しているしばらくの間、Yちゃんはおばあちゃんのところにお泊まりしていることになったんですね。
      それで、教室にもおばあちゃんに連れられてきていました。
      そして、弟も無事生まれたので、今日はおかあさんが教室に迎えに来る、という日。
      Yちゃんは、クラス中ずっと、脱げかけた靴下をひきずって『先生、これ、おばあちゃんの歩き方』といって片足をひきずりながら歩いてみせてくれたり、何かというと『これ、おばあちゃんの○○』といって、やってみせてくれました。
      そして、クラスが終わる頃になると、突然、理由もなく、泣き出してしまったんです。
      教室の外にお迎えにいらしていたYちゃんのお母さんは、Yちゃんの鳴き声を耳にして、何事があったんだろう、と心配そうです。
      それで、私は、Yちゃんをだっこして、お母さんの前まで行って、そこで、言いました。
      『Yちゃんさあ、Yちゃんは、おばあちゃんが大好きなんだよね。だから、今日もクラスの中で、おばあちゃんの歩き方とか、いろいろやって見せてくれたんだよね。そして、本当は、今日もおばあちゃんのところに帰りたかったけど、おばあちゃんのところに行きたい、って言ったら、おかあさんを困らせちゃうから、今日はずっとガマンしてたんだよね。でも、帰る時間が近くなってきたら、悲しくなって、泣いちゃったんだよね』
      そうしたら、Yちゃんは、泣きながら、うんうんとうなづきました。
      ああ、やっぱりね。
      私は、自分の推理がヒットしたので、ほっとした気持ちと、良かったあ、という気持ちと、達成感で、いっぱいになりました。
      だって、半分当てずっぽうだったんですから。
      それを聞いていたYちゃんのお母さんは、『あら、Y、そうなのお。でも今日は、おうちに帰らないとだめなのよお』と言いながら、Yちゃんを抱き取って、帰って行かれました。
      その時、私、『ああ、こういうふうに、子供の気持ちを代弁して言語化するような仕事をやりたいなあ』と思ったんですね。
      実際には、そうはならなかったですけどね。
      そのことを、思い出しました。

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    3. みかです。上の続きです。
      その何年も後になって、結局は、他の子じゃなくて、自分のインナーチャイルドの言い分を言語化する練習を、セラピーの勉強の中で、やり続けなくちゃならないはめになったんですがね(笑)。

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    4. いいご夫婦ですねえ♪ ちゃんとそうやって素直に謝る&フォローする、ができてるってのは。なかなかそこができなくてすれ違うこと多いような気がします。うちも含めて(笑)。
      ああああ、Yちゃんかわいいいい。そのパターンだと、お母さんが恋しくて・・・が普通のパターンなような気がしますが、おばあちゃんに懐いちゃったんですね。習い事の先生って、うちの親もそうなのでよく言ってますが、親子関係の問題がとてもよく見えるそうですね。単にその教科を教えるんではなく、そういう、他人だからこそ気づいたことを橋渡しできる先生ってほんとに素敵だと思います。そして、そういう身に着けたスキルが、ちゃんとあとで自分自身のためにもなっている。いいですねーこの循環。

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  4. わぁ、何か涙出てきちゃいました・゜・(つД`)・゜・

    女の子の傷にもですけど、じぇいど♪さんの行動にも感動しましたし、親の大変さにも…

    でも一番は私の気づいていなかったインチャの傷が共感してグッときたのかもしれません。

    それにしてもじぇいど♪さんの行動は素敵ですね。
    なかなか出来ないものです(^_^;)))

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    1. この子の気持ち考えると、ほんと、泣けちゃいますよね・・・。お盆持ってたときの誇らしげな顔を見ちゃっただけに、よけいでしたねえ・・・。
      いや、日本って、ってか特に東京特有?やっぱ知らない人にあんま声かけないんだよなあ、って自分でも自覚できてきましたし、ちゅまも「よく電車とかエレベーターとかで子供あやすと親にヘンな顔される(´・ω・`)・・・」って嘆いてましたが。アメリカではこういう状況で周囲の人が話しかけるのなんて、すっごい普通のあるある、なんですがね・・・。アメリカだけじゃなくて日本の田舎だってそうだと思うんですがね・・・・。おとーさんは相変らず日本だろうがなんだろうがへでもなく、子供と目が合うとヘン顔して笑わせたりしてますがwww

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  5. みかです。
    ここにじぇいどさんがお書きになっていることに、思わず、反応しちゃいました。
    私、スーパーなんかで目が合った小さな子に向かって、ちょっと離れたところから、ニコッとしたり、目を大きく見開いてみせたり、その子の反応によっては小さく手を振ってみたりするほうなんです。
    子供は、こっちをじいっと見てくれることが多いです。
    そして、それに気づいた親も、だいたい、ニコニコして会釈してくれますよ。
    思うに、日本って、ものごとをあんまり言語化しない文化だから、声に出して話しかけることはそれほどやらないけど、目が合った時に表情で共感や好意を示すのは、けっこうOKなんじゃないでしょうかね。
    そういう意味では、おとーさんの変顔も、きっと、それほど奇妙だとは思われないんじゃないかと思いますよ。
    ただ、日本は、他人(人間一般)の善意に対する信頼度が、アメリカなどより、たぶん、低いです。
    (たしか、社会学的な何かの調査でも、そういう結果が出ていたと思います。たとえば、チャリティにお金を出す人の数や一人が出す金額が、日本では、圧倒的に少ないですしね。)
    日本では、近づいてくる他人は何する人かわからない、危害を加えられるかもしれない、という警戒心を、たいていの人が持っているんじゃないかと思います。
    だから、ある程度の距離を保ちながら、変顔して笑わせるくらいなら、大丈夫。
    接近して声をかけるとなると、ね、『変な人』認定されちゃうのかもしれません。

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    1. みかです。
      先ほど自分が書いた内容に対して、さらに、気づいたことがあるので、ちょっと付け加えますね。
      他人の善意に対する信頼度が低い、という件ですが、これは、裏を返せば、自分(のものの感じ方)に対する信頼度も低い(自尊感情が乏しい)、ということなんだろうと思うのです。
      自分の良さ、自分の親切さを、ぬけぬけと信じてはいない。
      自分であれ、他人であれ、言動の背景には何か裏があるに違いない、と思っている。
      この自己不信・他己不信が、こじれたトラウマからの回復を余計むずかしくしてしまっている点が、日本人には往々にしてあるような気がします。
      そういえば、『Giving Tree(大きな木)』という絵本に対する各国の子供たちの感想を集めて分析した研究書を読んだことがあるのですけど、この絵本の最後にある『木はしあわせでした』という文に対して、日本の子供たちの中にだけ、『木は本当にしあわせだったんだろうか、本当は悲しかったんじゃないだろうか』と書いている子たちがいたのです。
      つまり、世の中には本音と建て前があるのだ、ということを、子供のうちから感じていて、それを前提に物事を考えているようなのです。
      ほら、よく家庭でも言われるじゃないですか。『おとうさんはああ言っているけど、本当はあなたのことが好きなのよ』とかね。
      そういうわけなので、日本人は、自分が発するコトバであれ、他者が発するコトバであれ、言語化された表現を、あまり本気にして受け取らないように気をつけているんじゃないか、と思います。
      だからこそ、知らない人から話しかけられると、余計、警戒しちゃうんじゃないでしょうかね。
      そのような言語表現への不信のせいで、自分自身のコトバで考えたり解釈したりしている自分自身の感情や本音を信じていいのかさえもわからなくなりやすいのだけど。(不幸なのに『これはしあわせなのだ』と思い込んだり。)

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    2. まー悲しい事実ではありますが、なぜアメリカではそれほどまでにお互い道ですれ違えば笑顔を交わし、エレベーターで話しかけ、愛想よくするのか、というと、一つの原因は「危険だからこそ」という説があります^^; つまり警戒心、なんですよ、やっぱり。とくに白人エリアに住む黒人はほんとに礼儀正しく愛想がいいですがそれは「私は危険人物ではないですよ」という先手なのだと・・・で、たしかに都市伝説(?)じゃなくて実際そうだなーと感じましたしね。
      まあたしかにそういう使い方もしますよ。明るい朝であろうと閑散とした山で一人でランニング中すれ違う相手がいるときはお互いちょっと身構えるもんですし。(シャーリーマクレーンの話で、山で変質者?に付きまとわれるちゅう話ありましたが、あの散歩コースの同じ山のま反対、別の山道が私の長年の朝の散歩コースでした)
      でもまあ互いの不信感から始まった防衛手段としての習慣であったとしても、でも全く知らない同士笑顔で挨拶交わしたり、全く知らない人に今日の何でもない服装褒められたりすると、嬉しいですしね。お互い気持ちいいですよね。安全な地域に住んでおれば大方の近所の人は安心できるとお互い思ってるもんですし、それでもにこやかに接しあうのはいい習慣だと思います。ももちゃがよく嘆いてますよ・・・立ち話して子供遊ばせてるのだからあきらかに近所の人でこっちが制服で近所の中学生ですよ、ってわかってても日本の若いお母さんたちは挨拶返してくれない場合が多い、って^^;

      Giving Tree懐かしいですね。シルバスタイン作品のなかではまあ比較的毒、シニカルな面が少ないほうの作品だと思います。私は彼の作品にしてはキリスト教的だから受けるのかなあ、と思ったんですがね。許し、の話と観ることもできますしね。つまり、利己的な部分が多い人間すらも神は愛して支えているものだ、みたいな。それもカトリック的ではなくやはりプロテスタント的なのかなあと。
      その分析は面白いですね。日本はまた、自然崇拝が身についているので木そのものを擬人化して捉えることがナチュラルにできるし、そもそもの神話の神も喜怒哀楽が激しく人間的なものとして描かれ、子供もそういうものをベースに育つとよけい、ほんとは木だって悲しかったのでは、と思うんじゃとか・・・深読みしすぎですかね。今の子、そんなに童話とか昔話の本読まないでしょうしね。
      心理学で一般的にも言われるように、他者への不信はたしかに自己不信から生まれるんでしょう。日本は確かに教育の仲で自尊心を養うカリキュラムが少なくて集団の和ばっかり教えてるなーって思いますね。

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  6. こんにちは。
    わたしは自分の経験から、ある心身症のサポート活動をしていて、幼少期のトラウマみたいな話はすごく身近だし、自分自身のインナーチャイルドもまだまだ…ってこともあって、いろいろ共感しちゃいました。

    機能不全家族、みたいな言葉がありますが、ある精神科医さんは、完璧な親などいないし完璧な家族などない、問題は子供が「それおかしいよ!」と言える環境があるかどうかなのだ、と言います。

    夜泣きで「本当はこう思ってた」と子供が泣くなんて初めて知りました。
    それが言える子は本当にたくましく育つでしょうね!(^○^)

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    1. こんにちは(=゚ω゚)ノ♪
      サポート活動されてるんですか(*´ω`)。お疲れ様です。

      完璧な親などいないし完璧な家族などない

      これは誰もがキモに命じるべき事実だと思いますねえ。機能不全家族、の対極に完璧な家族、ってのがあって、完璧な家族が普通で機能不全家族が異常でそれは不幸なことなのだ、という図を描いてしまうととんでもないことになる。
      子供と親、どちらの立場にあっても、完璧な親なんかいない、これは忘れがちなことだと思うのですね。そして夫婦の問題などにおいても。完璧な夫、完璧な妻などいないと頭では分かっていても、それを相手に無意識に求めてしまっていることがあるでしょうね。
      親子や家族内で問題が起きるときってのは、脳内で完璧な○○という理想を思い描き、そこに当てはまらなかったときに出る怒りや不満、だと思うのです。それが他者ならば非難となり、それが自分ならば至らなさへの罪悪感で完璧であらねば、と過剰に自分を追い詰めたり。
      ほんと、夜泣きでなぜ泣いているのか自己表現できるお子さん、素晴らしいですよね♪

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  7. こんばんは。
    読んでふと、先日見た光景が被りました。

    よちよち歩きのお子さんがお菓子の袋を抱えていました。
    ニコニコして歩いていたのですが、母親がスマホをいじりだした時に、無言で父親がいきなり取り上げたんです。
    少なくとも私にはそう見えました。
    もちろん突然でしたので子供もびっくりして泣き出しました。すると父親が次に言った言葉にびっくり
    「なんだよ!持ってやったんだろ!?何で泣くんだよ!わけ言ってみろ!」
    はあ?と私はびっくり。
    母親にではなく、よちよち歩きのその子供になんです。
    そして母親も
    「あーもう。何か買ってやるから泣くなよー」
    とスマホ見ながら手を引っ張って歩き出し……。

    小さな子供に対する態度じゃないな。あの子、傷ついたなと悲しくなりました。
    また、泣くと理由は聞いてもらえず、ものだけは与えられるという事を覚えていくのかな、と。
    相手が幾つであろうと、何かを相手にするなら事前の声かけとかした方が絶対に良いと思いました。

    最近の日本は人には話しかけないけど、スマホには話しかけ(笑)っぱなしの人が多いですね。私も子供の相手をしたり、叱ったりすることがありますが、たいていスマホ片手のお母様達が驚いて顔を上げ、一瞬動揺されます(苦笑)

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    1. 遠い遠い昔のコメントに今頃レスしてないの気づいての書き込みでごめんなさいです。これもご縁と思った出来事があったので。
      昨日モノレールの中で、ふるさわさんおっしゃるのととても似た光景みましてね。3、4歳くらいかな、お母さんと坐るなり「ツムツム!」と。( *´艸`)いやいやこれは・・・と最初は思いまして。ばんぶるも「しりとり番長!」とか隙あらば言いますからね。でもまあ、3歳でこれはすごいね・・・と思ったものの。お母さん、目を向けもしないでスマホでなんか打ち込みながら「今だめだよあとで!」と一括。ま、これは仕方ないかもしれません。留守番中のお姉ちゃんに指示してるとか、旦那さんと夕ご飯の連絡しあってるとか、ね。うちだってあるある。するとこんどは「のどかわいた!」と。「お茶持ってるでしょ!」女の子、水筒を出して自分で蓋をあけてコップに注ごうと・・・開かない!「ねえ、開かないの、ふたがー」と訴えると「ああもううるさいなあ!お茶さっき入ってないって言ったんじゃないの?」といいながらも蓋をゆるめてやり。。。ついで上げるのかと思ったら、はい、とそのまま渡し、またスマホへ・・・・。
      いやいやいやいや、お隣に、人、坐ってるしね?揺れてるモノレールの車内でコップに注ぐ型の水筒、三歳の子に、つがせるの?とハラハラしながら見守っておりましたらば・・・どうやらやっぱりほとんど入ってなかった様子。
      それでもその子、きっとほんのちょっとだったであろう飲み物をすすると満足そうに蓋を閉めました。もちろんお母さんはそれも見てません。

      ま、逆に、逞しく育つかもしれませんよ。ちょっとやそっと理不尽でめちゃくちゃな上司に怒鳴られてもへこたれないような人になれるかもしれません。

      でも、ほんと、高校の父母会で、だめなのよーあたし、手を出しすぎちゃってー、つい、ねー。とおっしゃってたお母さまとご一緒させていただいてただけに、親子も色々だよなあ・・・と興味深く観察してた、ってことがあったのでした。うん。

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