2014年12月3日水曜日

北鎌倉お散歩日記 その2 鎌倉の北の境


さて、お散歩を続けると、こんな風情のあるトンネルが。これもその昔、手作業で掘ったトンネルらしいのですが。そばには看板と、このトンネルの保存を訴えるチラシなどが。え。この可愛いトンネル、なくなっちゃうの?
この岩塊は鎌倉の貴重な文化財です。平安時代後期よりこのトンネルのある岩塊は鎌倉の北の境界でした。もとは前面の鎌倉街道まで伸びていたもので、鎌倉時代中期には三代執権についたばかりの北条泰時が、鎌倉を災いから守る四角四境祭を、この岩の外側でおこなっています。また鎌倉時代後期には円覚寺の西側境界ともなりました。
一遍上人が第八代執権北条時宗に出会う「一遍聖絵」の有名な巨袋坂の場面は、この岩塊の先端の路上です。鎌倉時代の鎌倉を今にとどめる貴重な遺跡です。 北鎌倉史跡研究会
落石注意の看板ありましたが、やっぱり岩や倒木など色々落ちてきて危ないんだそうで。そうだよな。歴史的に大事な場所。でも通勤通学でここの道を使う人もいーっぱいだから安全対策が望まれるのは切実。これは悩ましい問題。http://www.townnews.co.jp/0602/2014/06/13/240379.html

ところで、この看板に出てくる「四角四境祭」ってなんだろ?とか、へー鎌倉の北の境界ってここなの?とかを後で気になって調べてましたら・・・

うああああこれただのお散歩じゃなかった~(笑) 

相変らず生活のあれこれと密接にピンポイントで関係してるもんだから全部そのままなんかここに書けないんだけどね、なんだかまたまた一連の、ジョークとしか思えない見事なここ一年くらいの流れとのつながりに気づいて、一人で大笑いwww。

まあ、無難にアバウトに書ける表現で申しますと・・・・この界隈でご縁のある場所、とか、見かけてあれ?って思ったモノ、あれここって?となんか感じたり、などなど疑問に思いながらも別に調べずに放置していたあれこれってのが・・・みーんなすでに研究されてちゃんと解説されてるという方のブログに行き当たりましたよ。ぎゃーものすごく濃そうな情報が膨大。正直、ざっと読むのも大変でした(;´∀`)。でもね、実際に何度も歩いてる場所だけに、ここの店の前、とかこの角、とかの具体的な場所も、あーあそこね、ってわかるだけに、今なら読める。しかしここなんでもなさそなタイトルと内容の濃さのギャップがスゴイよね・・・・(笑)。


で、うんと簡単に言っちゃうと、この周辺地域ってのはつまり、吾妻鏡の記録などによると、昔の鎌倉の北の境界・・・もちろん地理的・行政的な面だけじゃなくて、陰陽道で首都鎌倉を防備するための意味が強い境界であったところで。北ってのは陰陽道で特に重視する方角らしいのね。

そんで、じぇいど♪がいつもここらを通るときにスマホで位置情報出しながらナビみると「へーそこのすぐ上に神社があるねーなんだろーでも坂だからめんどくさいし見に行くつもりなんかないけどねー」って素通りしていた八雲神社ってのが、その四角四境祭を執り行う場所であった、と。その四つの境ってのも、あああああ、なるほどぉ、な覚えがある場所。

まずはそこまでで一つ「へーΣ(・ω・ノ)ノ!」。


そしてそして。この界隈のいつも封鎖されてる第六天社の前にある、ちゅまと散歩してて見つけた、なんだろね?って思ってた安倍晴明の石碑。鎌倉と安倍晴明、全然関係ないでしょ。くらいに思ってたんですがね、どうやらそんなことはなかった(笑)

ここの地域は・・・まあ、晴明本人がここに一時期住んでたのかどうかって話はホントかウソかわからないレベルではあるみたいなんですが、まあとにかく、晴明の住居があったという伝説があり。少なくとも安倍家の子孫が鎌倉幕府から招聘されて儀式を執り行ったという記録はちゃんとある。だから晴明のなんとか、と呼ばれてるモノがいくつもある。そういう場所だったんですね。

で、こっからはそのブログ主さんの推測なんだけどね、その石碑ってのは、他の関連物・・・・不自然に曲がってるんじゃ?と思われる川・今は八雲神社に移転されちゃった晴明石の元の位置・今はどこだか不明になってしまった晴明の井戸の推測位置、などと組合わせると、水関連の北斗七星形になり、もしかしたら石を使った五芒星もあったかも?と。ま、だから、石が移転されたりで今はもう形そのものは失われてるわけなんだけれどもね。

でもね、じぇいど♪、その北斗七星形があったのでは、と解説されてる場所周辺で、何も知らずに、ここって気持ちいいよねえええ、って思ったことがあったし。そしてその周辺を示すサインが度々出るからこの場所って気的になんか引き寄せられてる?あるいはここに注目しろというサインなの?って不思議に思ってた場所だったんだよ。あらまあ( *´艸`)。

ちゅまが良く言うんだけどね。たとえば、年月の経過と共に工事の必要などから鳥居を移転させちゃったり。神社の敷地の区画が変わったり。そういうことがあって物理的に鳥居や境界線を動かしても、気的な境界線のほうを動かす処理が間に合ってなかったりして、両者がズレちゃってる、そういう場所ってのがある、と。

だとすると、この北斗七星だの五芒星ってのも、今は構成していた石などは移転されちゃったけれど、なんらかの気的な痕跡、くらいは残っているのかもね?

とね、このトンネル保存の看板を読んだおかげで、色々気づいて面白かったお散歩なのでした。
(ってまだ話が紅葉の寺に着いてすらいないよ・・・)


鎌倉にはこれの他にも結界や、除災除難のための儀式のポイントの痕跡があって、面白いです。たとえば、七里ガ浜の七里ってのは密教の七里結界の七里、八幡様から裏鬼門方向に七里の腰越までが「浜七里」だからで、鬼門方向の横浜にも野七里という地名がちゃんと残ってる、とかね。

だから鎌倉もつまり、江戸・東京や京都同様、陰陽道や密教による呪術的な防備が何重にも施された場所だったんだなぁ、 そしてじぇいど♪が日常生活でよく関わったり通ったりな場所ってのが、あそこもここも具体的にその各ポイントだったのかぁ・・・ってわかって、ちょっと感慨深かったです。


次回は、やっと紅葉の写真。


つづく



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