2015年3月26日木曜日

近況その3 凪だか空だかゼロポイントだか

凪・・・の海の写真ってなかなかフォルダーにないんだよね・・・どうしても
「おおっΣ(=゚ω゚=;ノ)ノってびっくりしたときに写真撮るんだろうね、荒れた海写真が多くて。

何の話だっけ?になりそうなのんびり更新ですんません。この大日さんの記事の続きをば、再び。

で、その唐突に訪れた「凪」気分。
どんな感じだったかもう少し詳しい説明を試みようかと思います。



前記事のコメントに、この「凪」って、「空」みたいなもんじゃ?とか「ゼロポイント」?とかのヒント書いてくださった方がありますが。謙虚ぶるわけじゃないですが、そう呼ぶのはやっぱおこがましいよなぁとしか思えません・・・(;´∀`)。

が、もしかしたらそこにヒントはあるかも、とは思います。とはいえ、言い訳がましく「ぷち空」とか「ぷちぜろぽいんと」と呼びたい気分になっちゃうんで「凪」と呼んだまま話進めますけども。




感情の癖や内面の在り方って、当たり前のことでしょうが、同じ一つの性質が長所にも短所にもなると思うんですね。怒りやすい人はそのパワーを世の中を改革する原動力にできるかもしれない。悲しみに満ちた人は他者の不幸への共感力が高いかもしれない。

だからこのなーんにももない「凪」状態、いい面も、困った面もあったと思います。いやそれすら真っ最中は良し悪しを感じてなかったと思えますが。



自分の感情が凪状態?になると、面白い現象がおきました。


まず一つ目は
表明できるほどにはっきりした一つの立場をなす意見や感想が湧かない/あってもそれを表明する必要を感じない。ってこと。

無気力・無関心、鈍感、ことなかれ主義とはあくまでも違うつもりなのですが。

たとえば、自分に関係ない大きなニュースがあるとしますわね?
誰の立場も意見もわかる気がするよねえ、 (・ω・)( ._. )(・ω・)( ._. )うんうん。
極悪人に見えるこの人も。ここに至るまでの理由があったろう。
もっと大きな意味では陰陽の事象が因縁によって刻々変化してるにすぎないじゃん。
皆それぞれの役割があり、誰もがそれぞれの人生を懸命に生きている。
ぶらぼー。はらしょー。善哉善哉。
心底しみじみ思えてしまうとどうなるのかというと・・・
なぁーんにも言うことがなくなっちゃう。



あとは・・・
全知全能じゃないんだからわかりようがないじゃない。
事件があったとして、関わった人の内面の動きなんて誰にもわからない。
だから全てがわからないことに他者が意見を述べるなんて不遜。
なんて思えちゃうと・・・やっぱり言うことがない。

たとえば別にブログやツィッターに興味失ったからって別に実害なんかありゃしません。
あら自分どうした(´・ω・`)?」ってだけです。


しかし、何かについて意見や判断やそれにもとづいた実際の行動を求められるって場面は日常生活では人と関わる限り、いっぱいあるわけです。

なのに。

無知の知。自分は裏にあるかもしれないすべての事情など知る由もない。ならば意見や判断など不遜、としか思えなかったり。
あるいは「すべてが大きなお世話」に思えたり。



そしてもう一つは
誰かの言動からその人の奥の奥まで見えてしまうような気がしてしまうこと
良い意味でですけどね?
そして所詮じぇいど♪主観の推測でしかないわけですがね?

例え周りから批判されるような言動をしていてトラブルメーカーになってる人がいても。その人の人間性の、弱さ、未熟さとともにそこにちゃんとある良さが言動の奥に感じられ、愛すべき存在に見えて来て

そりゃよく知ってる人だったら今までだってそういうことありますよ?でもね?いつもだったらちょっと関わったくらいの知らない人にまでいちいちそんなことたいして深く感じてないですから・・・まったく奇妙な状態。



しかしですね、この2つのモード。仲裁・調停役・聞き役を淡々・粛々とこなす、そういう場面ならこのモード、うってつけ。今回一番のメリットはこれでした。

本気で「なんとかしてあげたい」と思うそれも、決して余計なお節介などではないつもりで。そしてそこに執着もなく。かといって突き放した冷たさもないつもりで。上から目線で自分自身が上からジャッジするのではなく、むしろ自然にそうしたいと思える低姿勢で立てるべきを立て、周囲の助力を素直にお願いして。自分でも不思議なくらいナチュラルにそういう気分になれたのが、この「凪」の良い効果でした。ってなんかそう自分で書いちゃうと、自分、いい人すぎるっぽくてえらそーで気持ちワルイっすね・・・(´・ω・`)。

でもね。すごくナチュラルに、無理するんではなくそうすることができて。特にその立場を楽しむわけじゃないけれども、精神的に負担でもなんでもない。大変でしたね、とあとで周囲に労われたり関係した人たちに礼を言われたりしても、べつに大変だったとは思ってないし、この、多分メンドウで大変なプレッシャーのあった役をやらなければいけなかったのが、他の人ではなく、自分でよかった、って思える。

とかね。

年をとってじじぃになったな(いや実際にはババぁですけれどw)、自分。ってことか(´・ω・`)?って疑問に思ったり。いやいややっぱりこの「凪」のせいだよなあ?と首かしげてみたり。



さて。このモード、どう考えたものか。いつまで続くのか、ずっとこのままなのか。(そのままではなかったからこれが書けてるんですがw) 少し戸惑いながら、内側の自分の感覚だけではないヒントが欲しくなりました。






今日もぽっちり、ありがとう( ^^) _旦~~ 

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4 件のコメント:

  1. >全知全能じゃないんだからわかりようがないじゃない。
    事件があったとして、関わった人の内面の動きなんて誰にもわからない。
    だから全てがわからないことに他者が意見を述べるなんて不遜。
    なんて思えちゃうと・・・やっぱり言うことがない

    とどのつまり、こうなのかも。。。成る程。

    関わってる全ての人の立場が分かる(似たような状況を経験する)
    は、聞いたことがありますが、きっとそれも100%ではない筈。

    そうか。。。じぇいど♪さんと同じ視点には、人生で立ったことが
    ありませんでした☆

    教えて下さって、どうもありがとうございます。。。


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  2. うんうん、そうなんですよね。ちょっとそのあたり、補足して見ますと。関わってる人の立場、相手の立場がわかるような経験をする、とか、悪者にされているほうがそこに至る過程を普通よりもう少し推測して同情することができる「材料」みたいのを貰うことはこれまでも、大事なことに関してはわりとあったのですよ。だから簡単にジャッジなんてできないよ、という「戒め」とか「助言」みたいな感じのは。

    そんくらいならば、不用意に偏った意見で他方を傷つける、とかを防ぐとか、自分の言動を具体的な形にする前に偏っていないか見直すのには役に立つと思うんです。

    しかしそこを、りくつではなくて、体感で感じちゃうみたいな感じだと、理性で判断するときの材料にするとかじゃなくて、なにも発信できなくなっちゃう。だからこのモードでは、生きて活動しなければならない人間にとってはできないことも出てくるんでしょうね。うまく使えないと、ただの隠遁した傍観者になりかねない。

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  3. 凪いでる状態が、一番本来の在り方に近いのかもしれないですよねー。
    客観性を保ちつつも、相手の思いや垣間見えるバックグランドに思いを馳せた上で、人との垣根がなくなるような。心地良いし。でも、仲裁や調停役にまでは思いが及ばなかったなぁ。今年PTAだから、帰ってこい凪時代の自分!ですw

    私、しばしば過去生の追体験としか思えないものをさせられてるんですけど、毎回自分の思考傾向も似通ってるし、周りの人達も時代や国や性別や職業など違えども、みーんな笑っちゃうくらい中身は変わってないw
    それを思うと、ホントにじぇいどさんが言うように、時々凪いだ状態を思い出しつつ、それぞれが個人のカルマ(因縁)に集中してくのが、周りや全体がいい方向に向かうことに繋がるんかなぁとか思ってみたり。
    大昔に死んだ後、すごく凪いだ状態で自分がどうすれば良かったのか、なぜ目指したところへ辿り着けなかったのかをただ静かに分かった経験したのを覚えてるんで、今回の記事はホント興味深いです。

    ほんと、毎日がレッスンなのかもしれないですね。

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    1. 本来の在り方、がおっしゃるような、あくあさんが感じられたことのある、生と生の狭間での状態、だとしたら、そうなのかもしれないですねえ。肉体がある状態で様々な波動を浴びながら、つまり経験を重ねながら?おっしゃるように、レッスンをしながら?生きていると、凪、ってのは通常何も意識もしない、上からの意図的な作用などもない状態ではなかなかそこに戻ることがないレッスンとレッスンの間のほんのひと時に、何をしにきてるのか周囲を眺めるために立ち戻るとよいモード、なのかもしれませんね。

      PTA、ですか~。そういうのも凪?状態の生かしどころの一つでしょうね。
      PTAや町内会の役員だの、地域のボランティア活動だの、ご近所づきあいだの、って、じぇいど♪も帰国以来色々やらしていただいてますが、都会ではどんどん「ウザがられてる」のかもしれませんね。しかし、社会生活にとってとても大切なもので、地方政治に繋がり、国、世界、と、順々に、それこそフラクタルのような形でこの世界全体を形づくりながらささえている基礎の部分、だと日本に住むようになってますます感じています。

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