2015年5月1日金曜日

土地神様へのご挨拶

新年度の初月も終わって気持ちのよい五月晴れですね(´▽`*)♪ 

新しいことが四月から始まるっていう日本の歴のサイクル、大方の人にとってもなにかしらの変化があるときだったと思うんですが、じぇいど♪家も色々変化があってようやくペースが落ち着いてきました。うん、米国じゃあ、四月はただの四月、いやあと二ヶ月で卒業式だぁ~、とか、もうぜんぜん違うサイクル感覚でしたからね・・・。

そんな中、「土地神様」にご挨拶するとこう変化するのかあ、って改めて感心したことをひとつ。

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その日用事があったのは隣町。用事はばんぶるの新しい習い事の送迎。昨年からお試しはしていたのですが、この春の新年度から正式に所属することになったもの。じゃあね、終わるころ迎えにくるからね、と、じぇいど♪は本屋さんへ、おとーさんは自分のスポーツの練習に向かいました。

もうすぐ本屋さんというところで・・・ばんぶるのコドモ携帯からGPS情報発信。鞄の中でボタン押されちゃったとかなんだろうなあ・・・と思ったんですがね、心配性のおとーさん、見て来て、見て来て、オレは試合で抜けられないし、と。

うーむしょうがねーなー、と引き返して確認に行くと・・・何事もなく練習中。やはり鞄の中でスイッチが押されてただけ。

あーあもう本屋に行ってるほどの時間はないわ・・・^^; と、そこでじぇいど♪、トイレに行きたくなり。なのでスマホを出して最寄りのコンビニを求めて初めての道を行きますと・・・。そばに神社を発見。

小さいわりには参拝客が多くて活気のある、よく手入れされた綺麗な境内。由来を読むと、あ、このエリアの土地神様、なのね、と納得。ということで、コンビニの後、初めましてのご挨拶をして、境内を堪能。

あくまでもじぇいど♪が個人的にどう感じているか、って話ですけどね。じぇいど♪、初めまして、とご挨拶すると、なーんも感じないところもあれば、とっても歓迎されてるな、ってところもあれば、うむ、ご苦労、くらいにさらっと普通に受け入れてくださってるな、って感じるところがあります。

ここは・・・手放しで、おおおおよく来たよく来た、って大げさに歓待されてるわけじゃないんだけれども、邪険にされたわけでもない。そうか、よく来たね、という穏やかな受容とともに、エネルギー?を少しいただいた、という感触がありました。

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で、その隣町。気的な意味でも歴史的な意味でも、今じぇいど♪が住んで「所属している」と感じているこちら側とは別のエリア。天津神と国津神~平家と源氏~判官贔屓の地とそうでない地域~もよりの鉄道や道の流れが行きつく先・・・つまり人とエネルギーの流れも別々~人の雰囲気・気質も異なる~そんな風に「対立する場」だよなぁと常々思って、そちら側に行くと「アウェー感」を感じていた場所だったんですが。

さらにその神社は、なぜかじぇいど♪がこれまで、ご縁がないのかなあ、と思ってきた、稲荷系。うん、べつに意識して避けてたわけじゃあないんだけどね。その先にあるのを知らずに直前で転んで道を変えた、とか、用ができて予定を変えて直前で引き返した、とかなぜかちょっとしたことで寄れなかった場所が後で知ったら稲荷系神社だったり、って感じで・・・この鎌倉湘南エリアの有名処もなぜかそこだけ4年も経っても行ったことがなかったり。

でも、そういうのも自分の系統がきちんと自覚できるまで、ってことだったのだろうし、相反するものの融合、とずっと言われ続けてることだし、もうそろそろいいんだろうね、と素直に気持ちよく、我々を受け入れてくださってありがとうございます、これから娘がこの土地、そしてそこに住む方々にお世話になりますので、よろしくお願いします、とご挨拶をすることができました。

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その後、習い事のお迎えに行くと・・・。立て続けにぱぁっと、これまでとは違う光景が広がる、あるいは、新たな道、が出現して、その土地の具体的な活動に繋がったような感じが??

例えば・・・・ある人との話でおやまあ、この方ってスピ話なんかしたことなかったけど、無意識かもだけどかなり「繋がってる」方で近い系統の方だろうな、と気づいたり。ちょっとした相談をもちかけられ、その流れでその「隣町」で、あることの運営会議におじゃまする羽目になり。さらにその地のために長年尽力している方々とお知り合いになったり。そしてそして「こっちエリア」と「あっちエリア」を繋ぐ小さな役割をすることになったり。書類上の形として、我が家もそこのエリアのある土地の借地料の分担金を払っているという形になったり、などなど。

なるほど、その土地の見えない方々に、真剣にご挨拶したり感謝の気持ちを伝えて受け入れてもらえば、そこが生まれた土地や住んでいる土地ではなくとも「アウェー」ではなくなり、実際にその土地にご縁ができて、その土地と深く繋がった人々とも具体的に繋がって、色んなモノゴトがスムースに展開して動いてゆくのだな。と、しみじみ感心いたしました。

さらに4月はまた地方選の時期でしたからね、よけいに「個人の意図」と「土地神様」そしてその「土地」と「その土地の人々の気的・具体的ネットワーク」ってもんについて意識して見聞きすることができましたら・・・個人と地方自治と国政の関係の、具体的な部分と気的な部分が、するするっと繋がって捉えることが・・・できたように思うんですがね。

今回はあまりに短時間にわかりやすく目の前で展開していったので、たまたまその「参拝」と「ご縁」の関連性に気づいたわけですが。べつに意識しなくてもサポートって受けることもあるのかもしれませんがね・・・新しい土地でなにか始めるときには、意識してそこの土地神様にきちんとご挨拶しておくと、色々スムースになるかも・・・・ですよね?

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古いしがらみにがんじがらめになって自由に動けなくなっているときは、そこを捨ててグローバルな視点を持って広い世界に出て行って、ただの「地球人」として、どこの土地・どこの国にも縛られずに生きていけばいい、それもアリだとは思うんですけれどもね。

それだけで、いいのかなぁ? なーんか足りてなくないか?って常々感じてたことの、答えがちょっとだけ、わかったような気が、いたしました(*´ω`)。



今日もぽっちり、ありがとう( ^^) _旦~~ 

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11 件のコメント:

  1. こんばんは、今回の記事を読んで忘れ物に気がつきました。ありがとうございます。

    忘れ物は『土地神様へのご挨拶』です。
    4月から皇居の側で仕事をすることになり、なんとなく気になり先住の徳川家の方にご挨拶しに日光東照宮と皇居と言うことで明治神宮へ挨拶にいきました。

    ただ何か忘れているような気はするのですが、それがなんなのか判らず…。将門様は大手町だし等と考えていました。

    そしてこの記事を読んで、『!!!』慌ててググりましたら、一番上に大きく『神田明神』
    ご祭神 大己貴命 少彦名命 平将門命 orz

    次の休みにご挨拶行ってきます。

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  2. そういえば大手町も氏神様は神田明神になるんですね。・・・って、ちょうどこれから神田祭の時期じゃないですか!いいタイミングですね!今週色々ご神事があって9日がメインの日、15日まで続くみたいですね~。

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    1. 遅くなりましたが、15日に神田明神にご挨拶にいって参りました。
      その日から、若干スパルタが始まったような気はしますが(笑)お客様扱いから、自分の家の子的なトレーニングに変わったように思えます。←ご都合主義なもので(笑)

      今、縁あってたずさわってる土地だと思うのでこの地で経験すべき物や感情はきちんと味わおうと思います。


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  3. じぇいどさん、はじめまして。ときどき訪問して楽しませて頂いています。
    こちらは反対の東側から、この土地にご縁ができつつあり、共感しながら
    読ませて頂きました。時期を同じくして、私が頻繁に受け取るメッセージは
    「土地は無料である」です。資本主義がその土台から揺らいでいることも関係しているでしょう。
    またジェイドさんのこの記事に出会い、「土地は無料であるが、感謝して使わせて頂きなさい」ということなのかと思い当たりました。現実世界とスピワールドはセットになっていますね。
    ありがとうございます。

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  4. 土地の私的な所有、ってのはほんとはバリバリにスピ世界にかかわることですよね。たとえば日本の歴史を振り返ると、公地公民制の時代から墾田永年私財法で土地が私有・相続可能になった転換ポイントってのがあるわけで。じゃあ、それを誰が認めたのか、ってのは、当時の政府、まあ、奈良時代の天皇なわけですけれども、じゃあ天皇はなぜ天皇としての権威があるのか、ってのは・・・。

    えーとなんでしたっけなんでしたっけ、遠い昔に習ったきりなのでぐぐりましたが(笑)支配の根拠となる三つの形、みたいのありましたよね。調べたらウェーバーの支配の三類型、ですか。

    カリスマ支配・伝統的支配・合法的支配。このうち合法的支配は法律ってもんができてから出現したあたらしい形なわけですが、それだってその前にあとの2つがあってこその形ですし、カリスマ支配も伝統的支配ってのは、ようするに支配者が支配者たる所以は「神と繋がる超自然的な力を持っている」ということ。日本だったら天皇は日本神話の神々の子孫だ、ってこととか、ですね。

    つまり土地の所有ということに始まる政治経済の体制ってのも、実はその根拠にさかのぼってつきつめると、ばりばりスピ世界に繋がってくる。だって、ほんとは、誰のものでもないものを「神々・あるいは自然から貸与された」って根拠ななわけですから。

    だから、今は土地はお金を媒介にして所有権が売買されるものですけれども、その根拠、おおもとになったのはなんなのか、なぜなのか、ってことを考えればますます、土地のご縁ってのには、感謝をささげるべきなんだ、って思えますねえ。

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  5. 私もこっちへ来てからは、わりと土地神様を意識してて気になるときは行ったり、山自体がご神体なのでじーっと眺めて話しかけてみたり(^^;)実家の方も帰ったときは必ずご挨拶に行くようにしたりとか。そしたら以前はどうしてもここには馴染めない、ずっと住むなんて想像できないし永住できないと思い込んでた気持ちがすーっとなくなって、ずっと住んでもいいかも~と思えるようになりました。なんていうか、馴染んできたような感じ。結局、人に対してだけでなく、見えない存在やその土地自体にもハートを開いてるかどうかってのもあるんでしょうね。

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    1. ああああ、そうそうそうそう!って共感しますねえ、そのお話は。私も、もう20数年離れちゃって何が何だかわからない日本に帰国することになって「とりあえず」用意してもらったぜんぜん馴染がない場所に入居した、ってだけだったんですがね、最初は。ほんと、家族みんなで、見えない存在さんたち・土地自体にハートを開くことができたから、今住んでるここに永住するのもいいね、って素直に思えるようになったわけで。ももちゃんとばんぶるなんか、見てて面白いですね。もうすっかり地元LOVE、マイルドヤンキー部類になってますねwww。

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  6. こんにちは。私は宗教上の理由で氏神様にご挨拶をする習慣や必要性を感じた事がなく、稲荷系には何となくこわいイメージがあって苦手で、どうして狐(畜生)に人がご利益を願うのかが本当に不思議でした。しかし、あの狐は所謂、動物の狐とは違うと聞いてそうだったんだと初めて知りました。
    ただ、個人的には稲荷系は「契約」だろうな...とどうしても思えて。
    例えばこの命と引き換えに...という願いは聞き入れられると言うような実話を聞いて確信したのですが、そんなことはないのでしょうか?
    どうしても自分の中で抵抗があるので、稲荷系と周波数が合わせていいのか?大丈夫なのかな?とついジャッジしてしまうのです。
    まぁ、じぇいどさんの場合は大丈夫なのかな?と勝手に納得してみました(笑)







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    1. やーもうこのあたりは語り始めると長いでしょうけれども、でもちゃんと語れるほど自分でもまだよくわかってないんですけれどもねえ、私も、最初は匿名さんと同じように感じていましたよ。

      私の場合、思い込みの苦手さが取れてきたかな、って思うのは、日本の神道・神仏習合の信仰のことを知って行くうちにだんだんと、って感じですかね。狐さんが主祭神、ってわけでもない、あくまでも眷属、ですし、エネルギーの系統、みたいなもんだと思うので。

      契約、というか、命と引き換えに、だとか怪しい?こと言ってくる霊はどうなのか、ってのは色んな考え方あると思うんですけどね、霊格、みたいなもんによるんじゃないでしょうかね。きちんと祭られている霊格の高い「神」レベルの存在ならばそういうアプローチの仕方はしないだろうなあ、と個人的には思うのですが。私はとりあえずお稲荷さんであってもそういう契約的アプローチしてくる存在と接したことがないのですが、色んなケースあるでしょうしなんとも言えないです。

      周波数は私も合ってないんだろうな、ってのは感じますね。ってのは、今回その神社を訪れてエネルギー頂いたなと感じた直後から翌日にかけて、近頃はなかった片頭痛で薬飲まないとくらいになりましたんで^^; 

      ただ、それは単に自分の持つ周波数とか系統とは合わないからおこる当然の現象、みたいなものでネガティブに考える必要のないものだと思うんですね。

      これまでも自分の系統の別の系統の存在と接したときに、特に相手に悪意もなくて自分にも拒否感はないのに「残念ながら」そういう現象が起きるってのは経験しているので・・・で、別に悪さされただとか、あわないから接してはダメだ、とかは思ってないですし。

      ↑たとえば、昔どっかに書いたと思うんですが、ちゅまが連れている妖怪系の子犬ちゃんがおるんですがね、その子が、他の子たちがやってるように、私になついてすりすりしてたらしいんですがね、やっぱり気分悪くなっちゃったんですね。頭痛したり。こっちとしても可愛がってあげたいのはやまやまですし、向こうにしてみれば無邪気にじゃれついて来ただけのつもりだったんで、ものすごく申し訳なかった、って落ち込んじゃったらしくて可哀想だったんですが、ま、波長が合わない同士ってのはそういうこともあるわけで。

      合わせていいのか、大丈夫なのか、って疑問については、抵抗があって特に生活上必要もなかったりならば、無理して接することもないとは思うんですよ。人間の普通のお付き合いの場合と一緒でしょうね、そこは。でも、もし必要とか、接点が出てくれば、あとは自分がオープンになるか、ならないか、そのへんはあくまでも「選択」じゃないでしょうかね?

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    2. 「霊格」って発想はなかったです。稲荷系はみーんな一緒だと思っていました。なるほど。あるかもしれないですね。
      何と繋がるか、何を本尊とするかは、確かに個人の自由な選択ですね。自由には確かに責任が伴う...と改めて認識しますが(笑)
      じぇいど♪さんのブログには第六天の魔王とかさらっと登場したりして、いつも楽しく読ませて頂いています。

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    3. ありがとうございます^^
      うん、誤解ないようにもそっと具体的に言うと・・・どこそこの誰それという神さまと繋がっている「つもり」でも、実際は肉体があってネガだってある人間のそれぞれの内側の状態が反映されるもんだったり、あるいはその状態が反映された繋がり先はそれぞれだったり・・・ほんとにケースバイケースなんだろうなあ、と思うのです。だからほんと、自由であり、責任が伴う、ってことでしょうね^^

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