2016年2月4日木曜日

伝統行事や祝い事を「創る」

節分でしたね。立春ですね。2月8日だからあと四日で旧正月新年ですね。
いやなんもしない・・・ですけどね。

なにが見えてる、2月号です(笑)。

じぇいど♪家、11月末くらいから「まてまて数日おきになにかを祝ってねーかこれ(*´Д`)」って状態だったんですが。
しまいにはなんでもない夕食におとさんがシャンパンだそうとして
じぇ「まてよなんの祝いだよ今日はなにもないよ」
ちゅ「ん~、人生って素晴らしい!・・・の祝いヽ(^。^)ノ♪」
てな感じ。

こりゃさすがに少し祝い事は整理する方向で統合するとかで減らしていかんと!ってちょっと思ったんですがね・・・。子供は三人公平にしないと、とか、「えー楽しみにしてたのに」という意見が一人でもあると縮小もまた難しく・・・( ̄ー ̄)。



さらに昨日の節分のこと。数日前から「年女だからあたしが鬼なんだよね・・・」複雑な顔のばんぶる。おや年男・年女は本来豆を撒くほうじゃなかったか?と思いながらも、複雑顔は反抗期の照れなのか?お望みならばやらせてあげよう、と思ってたんですが。

ばんぶる、自らお面被ったものの。恥ずかしいから窓あけないで!おっきい声出さないでおとーさん!と大騒ぎ。なにが恥ずかしいのかはお年頃さんにしかわからない(笑)。いつも通りハジケすぎなおとーさんに予想外に大量の豆を至近距離でぶつけられるも、じっと我慢。

一か所終わったら「義務は果たしたぞ!」とばかり、これまた頂きますを待ってただけのももちゃんのいる食卓に戻ってしまい「あれまだ肝心の玄関が・・・」。

「ん~ □ヽ(; _ ;)ノ∴ もうこういうの、楽しんでくんないのね・・・二人でやりましょ♪」とおとーさん。数年前まではおとーさんだとわかってるのに鬼のお面が怖くてきゃーきゃー言ってたのに。恵方巻の方はね、美味しいからね、喜んで食べたんですけれども。

クリスマスんときも、サンタさん来訪の年齢を過ぎたし日本だしもうツリーはよくないか?とビミョーな戸惑いが見えてきたのに続いて、この豆まきでの変化。



アメリカでよく聞いた言葉にFamily Traditionってのがあるんですがね。直訳したら、家族の伝統、かな。雑誌記事にも本にもMaking your own family traditionみたいなタイトルをよく見かけまして。歴史が浅い多民族の国、家庭で何をどう祝うのかってのは「意識的につくるもの」って感覚なんだなと思わされ、へぇ~、だったんですが。

あとFamily Reunionって言葉があって。クリスマスや感謝祭とかじゃなく、親族が集まるためだけに「第○回 Family Reunion」やります、みたいな感じで集まる一族もいるんだなぁ、なるほど合理的、とこっちも、へぇ~、だったんですが。



ここんとこ数度続けて、ちょっと遠い・・・「親等」でいうと、4親等以降の親戚と、久々に「偶然」会う、ってことがあって面白かったんですがね。で、そういや我々が集まる機会っての、なかったよねえ~、実は近くにこんなに何家族も住んでるのにね、こんどなんか考えようね、って話をしたんですがね。

昔は冠婚葬祭盆暮れ正月だのが遠い親戚との交流機能果たしてたんでしょうが。帰省ラッシュだの土産だのの面倒さ、お金を包む負担、○○するものだ、○○しなければ、みたいな義務感の重さだので・・・多分うちだけじゃないだろうなあとは思うんですが、集まる親戚の範囲が縮小されるうちに「血やご縁が繋がっている人と、単純に顔を合わせて繋がる面白さ」という面まで縮小しちゃってるんだろうなあ、と。



伝統行事だの祝い事のしきたり、なんてのは、そりゃあ、ご神事として気的にどうの、暦がどうの、っていう理由があることも十分にわかってきましたが。

それでも、家庭内や親戚で何をどう祝うかってのは「いつもそうするから・しなきゃだから・伝統的常識的には」ってのに捉われすぎることなく、どんどん自由に自分達の意志で変えて「創って」行けばよいのだよな?そうだそうだ、今年はそうしよう、と思っておる立春、デス。





ちゅうことであと10日でバレンタインだよ姉妹合わせて70人分ケーキ手作りだとよ・・・材料トラッピング購入までは終えたが逆算したらいつから始めればいいんだよ・・・(´・ω・`)
ぽっちり、ありがとう↓

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